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2021.10.31 991. 物理的な時間の流れという前提に疑問の目を向けたとき2021.10.30 990. コーチの出口への疑問、感性を消費されないために2021.10.24 989. ラクダの行き交う世界で命を生きることについて考える2021.10.24 988. 二人で行う瞑想の力、痛みをその場で受け止める、ともに生きる2021.10.22 987. 朝の満月を見上げて2021.10.21 986.  記憶の映し出された世界の中で2021.10.20 985. 近づく言葉2021.10.19 984. 生と死が隣り合う国2021.10.18 483. 次の旅路、コスタリカに向けて2021.10.15 982. 二重構造の夢を彷徨って2021.10.14 981. 「あなたはわたしにとって大切な人」2021.10.13 980. モロッコの港町の景色から2021.10.11 979. 霧の街に目覚めて2021.10.10 978. 解放と調和2021.10.09 977. 記憶を通さない体験、匂いのない海2021.10.08 976. 再び、海辺の街で2021.06.25 975. 美しい時間、幸せな日々2021.06.11 974. 素晴らしい景色を眺める、新しい景色を眺める2021.06.07 973. アラビアンナイトの世界と祈りの場所2021.06.02 972. 目覚めと世界が生まれる音2021.06.01 971. イスタンブールでの暮らしの始まり2021.05.31 970. 心地いい場所を去るとき2021.05.28 969. 自由に生きるということ2021.05.20. 968 美しい日2021.05.17 967. ゆるやかに変化する間隔2021.05.07 966. あわいの旅2021.04.20 965. 束の間の漂いの中で2021.04.19 964 日曜日のピクニック2021.04.16 963. 新しいパソコンを前にして2021.04.12 962. イズミルの朝、内と外について2021.04.10 961. トルコ、10日目の朝2021.03.11 960. すれ違う心と心をつなぐ言葉2021.03.09 959. 境界線に関する認識2021.03.07 958. 関係性から学ぶ2021.03.03 957. 生きるということ2021.03.02 956. 関わりと交わり2021.03.01 954. エピローグとプロローグ2021.02.28 953. 旅立つことを決めたなら2021.02.16 952. パートナーシップと関係性の構造2021.02.16 951. 現実の中で気づく、因果関係と境界線に関する意識について2021.02.11 950. だから大切な人の手は離さないでいよう2021.02.01 949. これまでの自分が死を迎えるとき

 

2021.10.31 991. 物理的な時間の流れという前提に疑問の目を向けたとき

リビングの椅子の上に置いてあった洗濯物をたたんでいると、寝室から微かな音楽が聞こえてきた。パートナーが瞑想を始めたようだ。先に洗い物や掃除をしてからジャーナルを書こうかと思っていたが、静まった空気が心地よくて、先にジャーナルを書こうかという気になる。
昨日はセルフコンディショニングの講座を開催した。
思い返してみて今浮かんでくるのは時間の感覚だ。昨日の講座は2時間だったが、わたしたちの意識の静けさや深さのようなものは実は短い時間で切り替えることができるような感覚がある。しかも数分、場合によっては数秒といったかなり短い時間でだ。
意識の成長・発達はゆっくりなほど良いということが言われていて、わたしもそれを支持しているけれど、この、時間という感覚人間が意識の中で作り出したものだとするとどうだろう。
「ゆっくり」というのは物理的な時間の経過ではなく、何か別のことを意味しているのかもしれない。
意識の状態について言えば、短い時間で深い静けさを味わう体験をすることは決して悪いことではないのではないか。それとも「短い時間の中で」と思うことは、「忙しい日常の中でも実践がしやすいように」という前提を持った考えであって、「忙しい」というライフスタイル自体に疑問の目を向けない、いわば、既存の世界観の中での合理性を求めるような視点なのだろうか。
たとえそうだとしても、わたしたちにとって大切なものにつながれるのであればそんな時間を持つことはわたしたちにとって大切な(社会的な善いではなく、魂にとって必要な)ことなのではと思う。
そんなこととともに、先日マイコーチとの時間で対話をしたことを思い出す。
いろいろな視点が見える。あちらの背景もこちらの背景も分かる。
でもそう言っていたらキリがない。地球はもう待ったなしのところまで来ている。
そんな中では少なくとも多くの人に影響を与える立場に身を置いている人は自らの与える影響を自覚し、自らと向き合うことに取り組まない理由がないのではないか。
わたし自身、人や物事に対する基本姿勢は「見守る」「待つ」を大事にしたいと思っているが、今のような状況においてはどうしたらいいのだろうか。
「待つ」という行為には時間の経過が必要だと思っていたが、物事がプロセスなしに変化する世界を信じるとすると「待つ」という行為は何を意味することになるのだろう。
これまで信じてきた世界がまた「幻想だった」と気づく。
それは積み上げてきた(と思ってきた)ものが崩れる徒労感と新しい扉を開くときの心踊る感覚の入り混じった、ほろ苦くて少し甘いような、瞬間だ。
今日で10月が終わる。予定のない日曜日。理想に向かうプロセスではなく、ただそれが実現している今に気づくようなそんな時間を(そうなることを期待せずに)ゆらゆらと過ごしたい。2021.10.31 Sun 9:43
 

2021.10.30 990. コーチの出口への疑問、感性を消費されないために

昨晩やってきたアイディアのことを、夜中ずっと考えていた気がする。もちろん意識としては眠っていたけれど、頭のどこかにそれがあって、明け方、街に響く祈りの声をぼんやりと聞きながら、やはりそのことを考えていた。
それは既存の「コーチとクライアントのマッチング」の仕組みに関する違和感からやってきたものだった。
ここ数年でコーチングを学ぶことのできる機会は一気に増え、それにともなってコーチとクライアントのマッチングが行われるいわゆるプラットフォームと呼ばれる場所も増えた。
マッチングの形式は大きく二つ。
検索型か紹介型。
前者は資格や経験年数等の条件をもとに自分でコーチを選ぶ。
後者はクライアントの希望をもとに人間もしくはAIがコーチを選び紹介する。
仮にコーチングがその人の個性を開花・発揮させる一面があるとすると、すでに自分らしさを発揮している(はずの)コーチとの出会い方はこれまで通りで良いのだろうか。
何か決まった物差しで計り、条件の合う人を見つけるというプロセスで良いのだろうか。
コーチを見つけるクライアント側にとって便利な点はあるかもしれないが、コーチングを学んだコーチの出口として、それでいいのだろうか。
もちろんそれぞれのプラットフォームには想いや哲学があり、それを表面上の仕組みで推し量ることはできない。
それでもこんな考えが浮かんできたのは、昨日農業に関するとあるサービスの理念を目にしたからだろう。
それは「一次生産者に正当な利益が還元される」というものだ。そのために掲載基準やルールを設け、不当な安売りや値引き合戦が起こらないようにしているという。
今コーチングについては明らかに価格崩壊が起きている。必ずしも高い値段のコーチのコーチングが有益だとは限らないというリサーチ結果もあり、利用者にとっては「正当な価格」に近づいているように見えるかもしれない。
しかし一方で、スキルではなく感性を使っているコーチにとっては感性が消費されるレベル(の安さ)に達しているのではないだろうか。
今つながりのあるコーチたちの中には、いわゆる「コーチング」という言葉では括ることのできない取り組みをしている人も少なくない。そんな人たちがプラットフォームに入った場合、決められた指標の中でその人の「持ち味」が十分に伝わらない状態で、決まった価格に収められるということが起こっているのではないだろうか。
わたし自身、プラットフォームに所属しているときはその中で再三価格設定について話をしてきたけれど全体の方針とシステムの関係から大きな変化を起こすには至らなかった。プラットフォーム同士の競争が発生している限り、所属するコーチはそのプラットフォームの方針が「世界」になる。
たとえばアーティストや、既存の社会の価値観・枠組みに囚われない生き方をしたいと思っている人がコーチをつける場合、同様に何かから「はみ出ている」コーチをつけることがその後押しになるだろう。少なくとも社会でこうだと言われていることに「そうですね」などと疑問なく追従するような相手との対話では制限を超える感性・個性の発揮は生まれないだろう。
型から出ていくことを後押しするはずのコーチが型にはまっていて、かつ、型から出ているコーチとは出会うことが難しい。そんなことが起こっているように思う。(難しいくらいがちょうどいいのだろうか)
コーチを選ぶ側の感性も、実はもっと信頼することができるんじゃないだろうかという想いもある。
「たくさんのコーチの中からは選びづらい」という観点で条件付けをする検索方法が用いられているのだろうけれど、何かもっと他の形があるのではないだろうか。間に人をはさむとその人のフィルターがかかる。(費用もかかる)
感性と感性が出会う。そんな機会をつくることができたら、すでに素敵なコーチたちがたくさんいるこの世界が、もっと素敵な場所になっていくんじゃないだろうか。
先日、自分のコーチとのセッションで世界は突然に立ち現れることを実感した。プロセスを考えることも、そのプロセスを経ることも必要ないのだ。
人と宇宙を信じるという前提に立つとわたしが敢えて何かをする必要もないだろうという気がしてくるけれど、何か世界に現れたがっているものがあるようにも思う。以前なら「とは言え、今のわたしにはそんなことはできないか」と思っていたが、今は全く違った感覚がある。
影も含めた、美しい世界をみんなで見たい。一晩考えたテーマはきっと、そんな想いにもつながっているのだろう。2021.10.30 Sat 8:47 Morocco Essauira
 

2021.10.24 989. ラクダの行き交う世界で命を生きることについて考える

もう10月も終わりに近づいているということに気づき、驚いた。
オランダや日本は、秋が深まり、冬の気配が近づいてきているのだろうか。
三日前、ビーチ沿いのカフェのサンベットに横になって沈みゆく夕日を見ていた。
時折、ビーチにラクダのシルエットが現れる。ラクダが現れると一面に広がる砂の景色はビーチというより砂漠になる。
夕暮れ時の前にはカフェの奥の方の机でパソコンを開いていたが、やはり時折カフェの前をラクダが通り、その度に不思議な感覚がしてパートナーと顔を見合わせ笑い合っていた。
ニューノーマルの世界はラクダが行き交うのか。そんなことを思った。
昨日は予定がなく、馬に乗りに行こうかと思っていたが結局家でのんびりと過ごし(彼は瞑想後に湧き上がってきたアイディアをノートに書き留めるのに忙しそうだったが)その後、散歩に出かけた。
エッサウィラではこれまで滞在したどの街よりも「日常」を過ごしている。
もちろん、砂漠を歩くラクダも、道を走る馬車も、迷路のような旧市街も、小さな船が所狭しと浮かぶ漁港も、どれもこれまで体験した日常にはなかったものなのだけれど、それらを眺めるわたしの心と身体の状態はとても静かだ。
もしかすると、気温と湿気の影響もあるのだろうか、という考えが浮かんでくる。
この、少し肌寒い感じ、そして湿気を含んだ空気。
これまで数十年体験してきた時間の質感に近いのかもしれない。
(同じモロッコでも連日気温が40度を超える日が続いていたマラケシュは全くもって「日常」という感じがしなかった)
今は滞在先の他(隣)に仕事場として使う場所があるというのも大きいだろう。
午前中に仕事場に出かけ、15時くらいに帰ってきてそこから散歩や買い物に行く。
日々の中に身体が慣れたリズムのようなものがある。
今のわたしには仕事が楽しみや喜び、好きなことの一つ(かなりの上位)だけれど、パートナーのように「できることならハイキングやサイクリングをやっていたい」という感覚になるときが来るのだろうか。
仕事という名で呼ぶとそこにいろいろなイメージが付いてくるけれど今のわたしにとっては命の表現として取り組んでいることが結果として仕事と呼ばれている感覚だ。そういう意味では取り組みは違えど命を生きたいという想いは彼と共通しているのかもしれない。
今は、言葉や人にもっと丁寧に向き合っていきたいという想いがある。
ゆっくりと対話をして、ゆったりとした時間の流れの中でそれこそ関わる相手の命がさらにひらいていくことを見届けたい。
観察者はそこにいるだけで影響を与える。
自分がリソースにつながってさえいれば、そこにいるだけで十分なのだ。
ただ静かにそこにいる。
そんな存在であることがわたし自身の命の希望なのだろう。2021.10.25 Mon 8:37 2021.10.24 Sun 11:34 Morocco Essauira
 

2021.10.24 988. 二人で行う瞑想の力、痛みをその場で受け止める、ともに生きる

今朝は普段よりも幾分か軽やかな夢を見、ゆらゆらと漂う意識の中で毛布のあたたかさを存分に味わった後、そのままベッドで姿勢をととのえ瞑想を始めた。
正確に言えば姿勢を正して瞑想を始めようとするパートナーの横で、わたしも目を閉じた。
彼が選んだ、iPhoneから流れる瞑想用の音楽が心地よく身体に響く。
ほどなくして身体の感覚が溶け、宙が(空がという表現の方がしっくりくるだろうか)流れ込んできた。自分という存在の輪郭がなくなった今、もはや流れ込んでいるのかも流れ出ていっているのかも分からないけれど、確かにそこにあった(と思い込んでいたはずの)身体の場所に空があった。
ゆっくりと呼吸を続け、時折現れる考えやアイディアをぼんやりと眺めては、また呼吸に意識を戻す。
短い時間で意識の状態が変わったのは、音楽のおかげだろうか、それとも二人で瞑想をしているからだろうか。
彼とは時々一緒に瞑想をすることがあるが、それはいつもパワフルで幸せな時間になる。
瞑想を終えると、彼が瞑想中に浮かんできたことについて話し始めた。本のアイディアが浮かんだのだと言う。
いつものことながら、英語で話されることのほとんどが正直よく分からない。ほとんど、と言っても以前よりはだいぶ聞き取れるようになっただろうけれど、それでも哲学や物理学の話をお互いにしようとするものだから、やはり内容の全てを受け取ることは難しい。
彼も日常会話ではわたしが分かるように平易な言葉を使ってくれているが、湧き上がってきたアイディアの話だとそうはいかない。
今日は瞑想後でわたしがいつもより静かに話を聞いていたためか(ぼーっとしていただけかもしれないが)話彼は話しながらアイディアがどんどん出てくるようで、それを説明するために立ち上がって、寝室の隅に置いてあるオイルヒーターを使って話を始めた。
大の大人が裸でオイルヒーターを指差し熱弁を振るう様子を見ながら、話の中身を聞こうとする自分と「今の状況」を客観的に眺めて「なんて面白いシーンなんだろう」と思う自分がいた。
彼のアイディアと、昨日一緒に話をした「時間は存在しない」という話が結びつき、「時間が存在しない中で、わたしたちは日々こういう体験をしているのか」ということについて新しいアイディアを得て共通認識を持つことができたが、そのアイディアを他の誰かに説明できるかというと日本語でも到底それが難しい。
他の誰かに伝えられないことは残念だが、彼との間にはおそらく同じ(に近い)イメージを持つことができているだろう。
この、「分かり合えない」ところから始まって、少しばかり距離が近づく感じが、対話によってわたしたちの間に日々起こっていることであって、わたしたちが人間として他者と関わり合いながら生きていく上で大切な感覚なのだろう。
先日、野生動物にはトラウマがないという話を聞いた。ざっくり言うと、身体を通じて体験を完了させているのだと今のところ理解している。
ベッドをととのえながらその話を思い出し、そして先日、自転車に乗っていて転んだときのことを思い出した。
先日と言ってももう3週間くらい前になるだろうか。
滞在していたマラケシュの街で自転車を借り、旧市街の外にサイクリングに出かけた。
と言ってもマラケシュは旧市街の外にも新しい街が広がっている。たくさんの車が行き交う大きな道路を走るサイクリングは想像していたものよりずっと気を張らないといけないものだった。(土と植物だけの場所をのんびりと走るものだと思っていた)
そんな中、歩道に茂った植物にぶつかり自転車ごと思いっきり倒れてしまうということが起こった。
わたしの上げた声を聞いた前を走っていたパートナーが急いで戻ってきて、身体を支え、立ち上がるのではなく座るように促し、頭をぎゅっと抱え込んだ。
幸いにも倒れ込んだ車道に車は来ておらず、身体と頭を軽く打っただけだったが、痛みよりも転んだことそのものに気が動転していた。
見ると、右手の指先が切れて血が滲んでいて、それを見てまた「ひー」っとなった。そんなわたしを見て、彼は持っていたペットボトルの水で指の血を洗い、そしてまた頭と肩を抱きしめた。
まだ昼過ぎで自転車を返す時刻まではまだまだ時間があったが、帰ることにし、自転車を返した後にスイーツを買って家に戻った。
家でお茶を飲み、お菓子を食べながら「今度からサイクリングのときはヘルメットがいる」と彼に言うと、「そうだね、今度からヘルメットを忘れないようにしよう」という返事が返ってきた。
わたしは身体的な感覚が残るほうだと思う。メンタルもさほど強くない。少しでも怖い思いをしたものはそれがどんなに些細なことであっても基本的には二度とやりたいくないと思うタイプだ。
そんなわたしが転んでそこそこに(自分の中では)怖い思いをしたにも関わらず「次は」と思ったのは、痛みと体験を一緒に、身体的に受け止めてくれた人がいたからだろう。
野生動物は怖い思いをした後に仲間のところにいってぶるぶると身体を振ったりするということだが、そんな感じで、わたしもぶるぶるーっとしたのだろう。
小さいときも、大人になってもきっと変わらない。
痛いとき、怖いときはただ抱きしめられたいのだ。
教訓めいた言葉や励ましの言葉はいらない。
ただ、痛かったねと受け止められたいのだ。
もしかしたらそんなときはかつてのわたしが叶えられなかった甘えが出てきているのかもしれない。それはそれで大事な機会だ。痛みに便乗して甘えてしまえばいい。
そんなことを考えているわたしの隣で彼は今朝浮かんできた本のアイディアをせっせとノートに書き留めている。
わたしがわたしのままで、彼が彼のままで、お互いにすこやかでのびのびと生きて、一緒にいられたらいい。ともに生きるために大切なことは何だろうかと、そんな問いがわいてきている。2021.10.24 Sun 11:34 Morocco Essauira
 
 

2021.10.22 987. 朝の満月を見上げて

オフィスとして使っているスペースにやってくると、窓の外に満月が見えた。
こうして異国で満月を見上げるのは何度目だろう。
ドイツやオランダに暮らしていたとき、月を見上げた記憶というのはあまりない。むしろ日課のように、月を見上げていたのだろうか。
目を閉じ、瞑想を始めるとゴンゴンゴンという音が聞こえてきた。隣の敷地で工事をしているようだ。
普段であれば工事の音は「騒音」と感じるけれど、先日ここで同じ音を聞いたときも不思議とそんな風には感じなかった。
人が自らの手で何かを打ちつけている音を眺め、「人間が直接行うことは人間の許容値を超えないのかもしれない」という考えが浮かんできた。
機械を使うと大きな力をかけることができるが、その分大きな音が出る。
人が走る速さを超えるものを作ったことによって、それにぶつかって死ぬ人が出るようになったという話を聞いたことがあるが、他のことも同じようなものかもしれない。
本来持つ力を何倍にもすることができるようになったために、疲弊が起こり、騒音が起こり、事故が起こる。
テクノロジーや道具との良い付き合い方は長年のテーマだ。
そうこうしているうちに打ち合わせの時間が近づいてきた。
今日はどんな世界に出会うだろう。2021.10.22 Fri 8:26 Morocco Essaui
 
 

2021.10.21 986.  記憶の映し出された世界の中で

仕事場にしているホテルのレストラン(今はコワーキングスペースになっているものをひとりで使わせてもらっている)から見える海は今日も白いしぶきを上げている。昨日は濃い霧がかかって見えなかった島が今日はハッキリと見える。
ここのところ、二日に一回は街が霧に包まれる日が続いている。
霧はタイムトラベルへの扉を開く。
メディナと呼ばれる旧市街の中では、「今」ではないときを生きる(生きた)人とちらほらすれ違う。
そんな感覚がいつもある。
霧に包まれた世界を歩いていると、わたしたちが普段、見ていると思っている世界も実はこんな感じなのだろうと思う。
そこにあるのは白い霧。
その、ぼんやりとしたスクリーンに心の中にあるものが映し出される。
わたしたちは心象風景を見ているのだ。
真っ白なスクリーンは不安だ。
先に何があるのか分からない。
だから、脳という映写機で、記憶という景色を映す。
たとえそれが悲しみや苦しみの記憶であっても、先がわからない不安よりはましなのだ。
昨日、ソマティックインテリジェンス(身体知性)の講座で野生動物にはトラウマがないという話を聞いた。ここで言うところのトラウマとは、過去の経験が未来の行動(や感情)に影響を与えることを指す。過去の経験が未来に制限をかけないから野生動物は野生でいられるのだろう。
トラウマの解消と身体性が関係しているということについてはまた別の機会にメカニズムを知っていきたいが、わたしたちに埋め込まれたこの構造そのものを変化させることはできるのだろうかという問いが湧いてきている。
構造そのものを変化させるか、構造が発揮される対象を変化させるか。
いずれにしろ記憶の投影は(個人の内外での)多くの衝突を生んでいることは確かだ。そしてわたしたち人類が解決すべき喫緊の課題は地球規模という大きなものになっている。個々人という小さな存在における衝突を解消することは、地球規模の課題を解決することにつながるのだろうか。(そうであってほしい)
そんなことを書きながら、わたしはそんなことを考えているのだと客観的に見ているわたしがいる。
自動初期のようにタイプされ、立ち現れていく言葉はもはや自分もののではない。
もとの世界には戻れないのだというさびしさはあるけれど、今見える景色があるからこそ、そこですべきことがあるという使命感のようなものの方が大きい。使命感も、外からの圧力による使命感ではない。内側から殻を破ろうとする何かがある。
啐啄同時。そんな言葉を思い出す。
内側からと外側から。同時に殻を叩いたときにまた新たな世界が見えるのだろうか。内側から破ろうとする音、そして外側から訪ねてくるような音を感じる。
海では、相変わらず波が白いしぶきを上げている。2021.10.21 Tur 10:42 Morocco Essauira
 

2021.10.20 985. 近づく言葉

今日も壮大な夢を経て目が覚めた。
途中、知り合いが車に轢かれて大量出血するというショッキングなシーンがあったが、そのときの感覚はすでに遠のき、記憶だけが残っている。
昨日は15時すぎ、散歩に出かけ、カフェでお茶をし、さらに旧市街の中を歩き回りって帰ってきた。
途中、漁船がびっしりと浮かんでいるエリアにも立ち寄り、海に少しだけせり出した埠頭の壁の上を歩いたりもした。
散歩のとき、わたしたち(わたしとオランダ人のパートナー)は大抵黙っている。何かを見つけたり、浮かんできたことがあれば話をするが、話している時間と黙っている時間、どちらが多いかというと黙っている時間の方が多いはずだ。
黙って、手をつないで、ただ歩く。
それでも心地よくいられるというのはわたしにとって「一緒にいる」前提として大切な要素だ。
先日、ボリウッドの映画を続けて2本観た。(ボリウッド映画は長いので、そのうち1本は2日間に分けて観た)
1本目はヒンディー語(厳密には違うかもしれないが、インドで使われている言葉)と英語が混ざっており、ヒンディーの部分にのみ英語の字幕が付いていた。
英語+英語字幕の映画は正直まだ話していることの2割か3割くらいしか分からないんじゃないかと思う。英語とヒンディー語(+英語字幕)の映画も同じような感覚だった。
2本目の映画を選ぶとき、最初にヒンディー語のみ(全てに英語の字幕が付いている)を選んだ。しかし、冒頭から登場人物が話していることの意味が全く分からない。英語の字幕は読み切ることができず(これはだいたいの映画でそうなのだが)、英語の字幕を読んでいると画像を観て楽しむこともできない。
これでは全くストーリーが分からずに終わってしまうだろうと映画を変え、今度はやはり英語とヒンディー語(+英語字幕)のものにすると、話がだいぶ分かるようになった。
これはなかなか新鮮で、面白い体験だった。
てっきりわたしは映画を観るとき、映画の字幕を読んで英語を理解しているかと思っていたが、耳から入ってくる英語もかなりの割合で活用していたのだ。
考えてみるとパートナーの英語はいつも音で入ってくる。
「英語をもっと勉強しないとな」ということはいつも思っているのだが、日々、一定以上の英語を浴びていると自然と耳の聞こえは良くなっているのかもしれない。
もしかすると日常会話においては英語と日本語が随分と近づいているのだろうか。
散歩のときに黙っていると思っているけれど、それは意識して英語を話さなくてよくなっているだけで、何気ない会話を英語でしているのだろうか。
こうして書きながら、以前は英語と日本語が、視覚と嗅覚のように別々の感覚として体験していたということを感じている。別々で、しかも、かなり離れたところにあった。どちらも言葉という分類はできるけれど、同じ枠に入れるにはあまりに違っていた。
だが今はその距離が近づいている。わたしは視覚と聴覚が比較的近いところにあるけれど、それにも似た感覚だ。英語と日本語、それぞれの世界が触れ合っている。
この距離は、今後さらに近づくのだろうか。
さらに近づくと、何が起こるのだろうか。
彼の考えや感情をもっと受け取ることができるようになるのだろうか。
「もっと言葉や考えを交わすことができるようになったらそれはそれで素敵だけれど、今のままでも十分」
以前、そう言っていた彼の気持ちが今は何となく分かるような気がしている。2021.10.20 Wed 8:45 Morocco Essauira
 

2021.10.19 984. 生と死が隣り合う国

「Foggy」思わずそんな言葉が口をついた。
中庭のプールを挟んだ先の建物が見えないほど、あたりは白い霧に包まれている。これは霧なのだけれど、「霧がかかっている」というよりも「foggy」という言葉が今の感覚にはピッタリ来る。
この街は漁師町だ。
旧市街に面した漁港には、海面を埋め尽くすくらい、びっしりと船が並んでいる。
ギリシャのレロス島の海に並んでいた一人乗りの小さな船に比べると随分大きい(大きさで言えば3倍か4倍くらいあるだろうか)が、それでもまだ、海に漕ぎ出すには心許ないような簡素な船だ。
しかもこの街が面しているのは外海、大西洋だ。
先日、旧市街の、海に近い場所にあるルーフトップテラスのカフェから海を眺めていると、海に漕ぎ出していく船が連なっている様子が見えた。
等間隔に並ぶ4つの船の先っぽはどれもやってくる波に持ち上げられて激しく上下している。
あんな激しい海に、しかも一人や数人で漕ぎ出す漁師はなんて勇敢なんだろうと思う。
エッサウィラはレロス島以上に多くの船乗りがいるはずだが、海を照らす灯台のようなものは少ない。
レロス島は海が見える高台には必ずと言っていいほど(他にもたくさんの場所に)教会があった。
マリアが祀られたそれらの教会は海に出る船乗りの無事を祈るために作られたものであるはずだ。
エッサウィラにもイスラム教のモスクはあるけれど、たとえばトルコの街に比べても数はさほど多くないように思う。
ここでは、死がもっと身近にあるのだろうか。
人々は生きることも死ぬことも、日々の中で起こることだと受け入れているのだろうか。
モロッコの鶏肉屋には、生きた鶏がいる。
その日売られる分だけ、捌かれる。
他の肉屋にも、大きな肉の塊が吊るされたり並んだり、ときに(おそらくヤギ)などの頭や足も並べられている。
食べる、食べられる。
生きる、死ぬ。
ここではその境目は曖昧で、日々いくつもの循環が起こり、ひとびとはその循環の中を生きている。
そう言えば先月滞在していたマラケシュも生々しいほどにいきもののエネルギーが回る街だったように思う。
土と風。厳しい自然環境の中で生きる人たちはきっと、家畜化されたわたしたちとは違う人生観、死生観を持っているのだろう。2021.10.19 8:40 Tue Morocco Essau
 

2021.10.18 483. 次の旅路、コスタリカに向けて

朝一番の予定が8時半からだと思い支度をしていたが、予定は9時半からだったと分かった。日記を書きたいと思っていたのでちょうどいい。書きたいことがあるというよりは、書くという行為をしたいという感じだ。朝に歯磨きをする感覚にも近いだろうか。
昨日、来月のコスタリカ行きのチケットを取った。いつもであれば現在の滞在場所での滞在期間が残り2週間になった頃に次の予定を決めるが、コスタリカ行きについては先月から考え始めており、早い方が飛行機のチケットが安く買える(直前になると金額はもとより、チケット自体がなくなる可能性がある)ため、今回は早めに計画を進めることにした。
当初はマドリードに数日滞在し、そこからコスタリカへの直行便に乗ることを考えていたが、現在、スペインの入国制限が厳しく、EU圏内の滞在許可を持った人でも自国(滞在許可を持っている先)に向かうための乗り継ぎしか認められていないようだということが分かった。
そのため、別の場所を経由してコスタリカに向かうことを考えたところ、オランダから直行便が出ていることが分かり、それを活用することにした。今滞在しているエッサウィラからバスでカサブランカに向かい、カサブランカに数日滞在し、それからオランダに向かい、オランダにも一週間弱滞在をすることにした。
コスタリカ内での移動、そしてもしかするとその後も南アメリカ大陸内の国を移動する可能性を考え、オランダで荷物を減らし(オランダ人のパートナーはバックパックだけにするつもりらしい)コスタリカに向かう予定だ。
スペインの厳しさに比べるとコスタリカの入国に対する規制はさほど厳しくない。というか、コスタリカはこれまで旅してきた、そして今知っている限りのどの国とも違う政策を取っていることを知り驚いた。
現在のコスタリカの入国条件は、ワクチン接種が完了しているかコロナにかかって入院したときの入院費をカバーする保険に入っていることのいずれかだ。入国の際のPCRやラピッドテストさえいらないと言う。(とは言え、使用する航空会社によっては必要ということもあるだろう)
コスタリカは人権を重視した憲法を持っており、外出規制は憲法違反になるという考えからこれまでも厳しい外出規制は行ってこなかったようだ。(オランダでも憲法違反なはずだけども…とパートナーは眉間に皺を寄せていた)そしてこれまで国や国民が裕福なわけではない中で伝染病と戦ってきた歴史があることから、どのような対応を国として取るのが適切なのかがある程度分かっているのだろう。そんな話や、とは言え、路上生活者が増えているという状況等を元コスタリカ大使館の駐在員の方の記事を通じて知り、コスタリカにますます興味が湧いている。
軍隊を持たず、警察も銃を所持しない国で、人々が恐れに圧倒されているときにどうやって国を治めているのだろう。
多くの国は今、恐れを使った政治・統制を行なっている。そのおかげで助かっている人たちも多くいるし、医療関係者をはじめ、自分自身の危険もかえりみず働いている人たちには感謝の念が尽きない。
その上で、あえて言うならばわたしたちはすでに、いくつもの矛盾のぶつかり合うパラドックスの中に身を置いてしまっているのではないだろうか。
ワクチンはすでに、時間が経つとその効果が薄れていくという研究結果が複数の研究機関から発表されている。(実際にイスラエルでは3回目の接種を始めている人たちがいるという)これが仮に信頼性が高いものだとすると、全国民がワクチン接種を終えた後に政府はどのような説明をするのだろうか。「定期的にワクチンを接種し続けてください」と言うのだろうか。
ワクチン接種率が100%に到達するまでは、未接種の人に避難の矛先が向けられるだろう。しかし100%に到達すると、実際に何が起こっていたかが明らかになる。
ワクチンが悪いわけではない。
人の命はできる限り守るべきだろう。
しかし、機械を操作するように状況をコントロールできるという考えを持つことが大きな盲点を作り出していないだろうか。
トルコ、ギリシャ、モロッコと旅をしてきて、地球がいかに悲鳴を上げているのかというのを実感するようになった。
そして環境問題と貧困問題が結びついているということも実感した。(これは、どんなに学校や書籍を通じて知っても、ここまでの実感を持つことはなかっただろう)
わたしたちが今解くべき問題が地球規模であることは間違いない。
わたしたち個人がぶつかる課題の多くは、意識や視点が発達をすることを通じて解消されていく。
しかし、環境問題は見守っていて解消をされる類の問題ではないのだ。
企業活動の全ては環境問題を解決するために行うべきところまで来ていると言っても過言ではないだろう。それは決してわたしたちひとりひとりの幸せを大切にしようとすることと相反するものではない。
わたしたちが食や健康、生きることとの向き合い方を変え、真に幸せになっていくことが環境を守ることにもつながっていくはずだ。
この数ヶ月間、本当に美しい景色を見てきた。
地球は本当に美しい場所だ。
わたしたちがこの美しさを守らずして、何を守るのだろう。
この地球の美しさ、大きさに比べると自分のちっぽけさが悲しくなってくるが、だからこそわたしたちは手を取り合ってともに取り組んでいくことが必要なのだ。
これまで学んできたこと、今取り組んでいることを通じて地球に対して何ができるだろうか。
20年後、「やっぱり地球は美しい場所だった」と、仲間たちと微笑み合いたい。2021.10.18 Mon 9:07 Morroco Essauira
 

2021.10.15 982. 二重構造の夢を彷徨って

最近、夢が二重構造になっている。
夢から醒めたと思ってもまだ夢の中なのだ。
そんなときは大抵、まだそこが夢の中なのだと分かっている。
「分かっている」意識があるからかは分からないが、 とにかく夢の中だと分かっている状態が続くとただ夢を見ているときよりもエネルギーを使う感覚がある。
そこはほぼ、現実世界と同じ感覚なのだ。
こうして書きながら何を以って「同じ感覚」と言えるのだろうかと思うと、それは感情が生まれているからではないかという気がしてきている。
葛藤やもどかしさ、悔しさなど、現実で感じるのと同じような気持ちを感じるのだ。
それは現実の日々の中で発露する機会が失われている感情や感覚なのだろうか。
そもそも現実とは何だろう。
そんなことを、中庭のプールの端で首をもたげ、プールの水を舐めている猫を見ながら考えている。2021.10.15 Fri 7:45 2021.10.14 Thi 8:15 Morocco Essaouira

2021.10.14 981. 「あなたはわたしにとって大切な人」

随分と長いこと夢を見ていた。
朝一番で日記を書こうとすると、必然的にこんな書き出しが多くなる。
長い夢見の時間を過ごすとしっかりと寝たという充実感よりも倦怠感の方が大きくなるので繰り返し夢を見始める前に目覚めたいが、日の出の時間が遅く外が暗いと、明るさの中で爽やかに目覚め、ベッドを出ることが難しい。
「外が暗いとなかなかベッドから出られない」と言うわたしにオランダ人のパートナーは「それは外の暗さが理由ではなく、気持ちが理由だ」と言うけれど、基本的にガッツも忍耐力もないわたしはやっぱり「外の暗さ」にすぐ心折れてしまう。そしてベッドの心地よさの方が10倍くらいに感じる。そういう彼も、外が暗いうちにベッドを出た試しがない。
今日の夢には、珍しく最近の友人が出てきた。この半年の中で唯一直接会うことのできた日本人である友人が、余命わずかであることを夢の中で知った。そんな相手に何かを伝えよう、伝えたいと思い、「あなたはわたしにとって○○だよ」と伝えた。○○の部分は目覚めたときには覚えていたが、今は正確に思い出せない。何か特別な言葉ではないが、それでも「あなたはわたしにとって大切な人だ」ということをどうにかこうにか伝えようとしたのだと思う。
わたしが人の話を聞く理由を一つだけあげるとすると、その人の命を祝福したいからだ。これまで生きてきて、今ここで出会って、そして言葉を交わしている。何かを届けようとしてくれている。そんなときに、その人の話を聞く以上に大切なことがあるだろうか。
話を聞くことを何かを後押しする手段として使うこともできるけれど、今のわたしにとっては生きる目的そのものとも言える。
自分の命が愛おしいように、出会う人の命も愛おしい。話すこと、聞くことはそこにいるみんなの命を祝福し、命の境界を溶かしていくような、そんなプロセスなのだと思う。世界に命が溶けたとき、からだは地球になり、一瞬は永遠になり、体験する世界は愛になる。
そんなことを考えていたら、夢の見過ぎ(寝過ぎ)からくる倦怠感はどこかにいっていた。
先ほどから中庭に水をまいていいる人がいる。今日の仕事に、まっすぐに向き合う。そんな風にわたしも一日を始めていく。2021.10.14 Thi 8:15 Morocco Essaouira
 

2021.10.13 980. モロッコの港町の景色から

大きな窓を開けると、ひんやりとした風が吹き込んできた。
昨日までバルコニーから見えていた海の景色は、プールの景色へと変わった。
それでも微かに揺れる水面を眺めるのは気持ちがいい。
今朝も随分と長い夢を見ていた。明日が社会の試験なのに、束になった伝票を数えないといけない。そんな話だ。
「試験前」の夢を見ることは多いが、それは大学生のときに試験勉強に悩まされたからだろうか。あれだけ時間と労力をかけたことが何だったかさえ今思い出せないと思うとなんだかもったいないけれど、好きなことを好きなように勉強できる今はとても充実しているとも思う。
昨日は約一週間を滞在した場所を離れ、新しい滞在先にやってきた。
同じエッサウィラの中だが、いくつかのコンドミニアムが並ぶ静かなエリアだ。
新しい滞在先は特段広いわけでもモロッコっぽさが強いわけでもなく(それでも大きなソファやインテリアは十分モロッコ感がある)、4月以降に滞在してきた家の中で一番「普通」という感じだが、小綺麗で過不足なく、希望していた「今月はしっかり考え事や仕事をする」が叶いそうだ。
何よりこの広さに対してシャワーとトイレのついたバスルームが二つあるのがありがたい。
昨日は夕方アジア料理のレストランで食事をした後、散歩をし、漁港を訪れた。
ビーチを歩いていると古い大きな船が港の上に並んでいて、それが少し「世紀末感」のようなものを醸し出していたけれど(「世紀末」はとっくにすぎて、当分やってこないのだと気づく)、その奥が実際に使われている漁港になっており、小さな船が所狭しと並んでいた。台の上に魚を並べて売る人たちもたくさんいる。小さな魚、大きな魚、赤い魚、長い魚。
呼び込みなどはせず魚を並べているだけだけども、そこにはとても活気があった。 人が自らのからだを使い、手を使い、とってきたものを売る。
9月に滞在していたマラケシュでは道端に、ゴミ箱から拾ってきたようなものを並べて売ろうとしている人たちがたくさんいたけれど、魚を売っている人たちはその人たちよりも自分が売っているものに誇りを持っているように思えた。
実際の人の心は分からない。少なくともわたしの受け取り方には大きな違いがあった。漁港にはお金を乞う人もいない。
雑然としているけれど、空港のような流れるエネルギーがそこにあった。今のところモロッコで訪れた場所で、いやこの数ヶ月の旅の中でも一番好きだと感じる場所かもしれないと思った。
奢りは人を盲目にするけれど、誇りは人の生きる喜びになる。そんなことを思う。
2021.10.13 Thu 8:03 Morocco Essaouira
 

2021.10.11 979. 霧の街に目覚めて

日の出の時刻を過ぎたけれども、まだ空は白く、太陽の姿は見えない。
「foggy」「mystical」という言葉が出てくる。
オランダにいたときの感覚を思い出す。
以前暮らしていたハーグは本当に雨が多かった。
秋も冬も春も雨が降る。しかも暗い。
最初の年は雨が多いことがそんなに気にならなかったけれど(きっとビザの申請手続きなどいろいろやることがあってそれどころではなかったのだろう)、次の年から「よく雨が降るなあ」と思うようになった。
それでも決まった時間に外出や出勤をしないといけないということがなかったので嫌な感じはしなかった。ハーグの家は天井が高くてリビング・寝室・書斎と十分な広さがあったので1日外に出なくても気持ちよく過ごすことができた。
今滞在しているエッサウィラの部屋は東京で最後に暮らしていた部屋に似ている。
東京で暮らしていた部屋は西側の壁一面の壁の半分より上が窓になっていて、よくそこから夕焼けを眺めていた。南側にもバルコニーのついた窓があったので朝も明るくなる部屋の中で目覚ましなしで目が覚めた。あの部屋はどうなっているのだろう。
この、「湿気っぽい感じ」を感じるのは久しぶりだ。
最初に滞在したトルコのイズミルでも、次に滞在したイスタンブールでも、そしてギリシャのレロスでもモロッコのマラケシュでも、雨はほとんど降らなかった。(全部で一日二日降っただろうかという感じだ)湿気が少なくて、暑い中で汗さえもあっという間に乾いてしまうような場所にここ3ヶ月は滞在していた。
こうして思い出しながら、それらがもう「過ぎ去った時間」なのだということがわいてきた。
どこの暮らしも、楽しくて、美しい時間だった。
おそらくこの先の人生においてもう二度と訪れない場所もあるだろう。
人間に記憶というものがなかったら、今感じているこのあたたかいような寂しいような感覚を感じることもないのだろうか。
同じように見える毎日の目覚めも、一度きりのもので二度と訪れることはないのだ。
明日はエッサウィラの中で別の場所に移る。この、海や街を見渡せるバルコニーでくつろぐのは今日が最後だ。数日という時間は本当にあっという間で、これからもそんな風に毎日が過ぎていくのだろう。2021.10.11 Mon 8:15 Morocco Essaouira
 

2021.10.10 978. 解放と調和

ルーフトップでのヨガを終えて、日記を書こうと一段下のバルコニーに降りたら、海とは逆側、低い山の背が連なっているような影の向こうからちょうどオレンジ色の光の端が現れようとしていた。
バルコニーに面した寝室の窓をコツコツと叩き、太陽が出てきているというジェスチャーをしてみる。ヘンテコな動きがどう伝わったかは分からないが、まだベッドの中で目をつぶっていた彼がのそのそと起き出し、バルコニーにやってきた。
椅子に腰掛け、ぼーっと山から登ってくるオレンジ色の円を眺める。
今こうしてついさっきのことを振り返りながら、あれは5分くらいの時間だっただろうか、それとも10分くらいだったのだろうかという考えが頭をよぎっている。
時間というのは人間が都合よく社会を回していくために作ったもので、自然との関係性において、少なくとも時計の針が時を刻むような時間というのは存在しないのだ。
今年の春にオンラインで参加した井庭崇さんの創造についての講義で「Egoless Creation」という話が出てきたことを思い出す。
昇る太陽、そして変わっていく空の色をぼーっと眺めていたとき、わたしは空に溶けていて、見る・見られるの関係でないものがそこにはあったのだと、そんなことを思う。
昨日、一昨日説明会に参加をした成人発達理論のマスターコースの講義を聞き始めた。その中に「解放」という言葉が出てきた。学びというのは人を制限から自由にしていくという側面もあるという。(一方で使い方が違えば不自由にしていくという側面もある)
解放と調和、それが今取り組んでいてさらに取り組みを深めたいと思っているawai Labの取り組みが目指すところなのだと思った。
解放の先にはきっと、他者や自然とともに未来をつくることができる視点や在り方が立ち現れてくるのだろうと思うけれど、慣習からの捉われの中にいると、ともすれば解放が自分勝手で不調和を生むものに見えるだろう。
自分自身を解放していくとともに、朝日や夕日を眺めたり、風を感じたり、人間が自然を感じる時間をもう少しだけでも持つことができたら、「自分」は「自分」でないものとの間で常に何かを伝え合い、循環していて、曖昧な存在だということに気づくだろうか。
すっかり日は登ったが空は白い。今日はどんな出会いがあるだろう。2021.10.10 Sun 8:13 Morocco Essaouira
 

2021.10.09 977. 記憶を通さない体験、匂いのない海

テラスにパソコンを持ってやってくると、テラスに置いてあるテーブルと椅子が湿っていた。海沿いではこれだけ湿気があることが普通なのだろうか。そう考えながら磯の匂いがしないことに気づく。この町では、視覚を通じた海や触覚を通じた海は感じるが嗅覚では海を感じないのだ。
そう言えば、7月8月と2ヶ月間を過ごしたギリシャのレロス島の海も、磯の匂いがしなかった。だから余計に「透明で美しい、写真のような海」という印象を持ったのかもしれない。
わたしの中の海というのは磯の匂いがする海であり、それは小さい頃に出会った海がそうだったということだ。
そんな風に、知らない場所では体験の次元が一つ減るような感覚がある。それで何か不都合や物足りなさがあるわけではない。むしろ新鮮にそこにあるものを味わっているとも言える。そうだ、体験を支える次元の一つは記憶なのだ。
だから、季節の記憶がない初めて訪れる街や国では「ああ、秋がやってきているなあ」などと感じることがない。
日本を離れて約4年半、そんな風に生きているから記憶を土台にして物事を見ることはだいぶ減ったように思う。
そんな中でも日本の文化の中で染み込んだ物の見方に関する慣習は根深く世界の見方に影響を与えている。
つい数十分前まではまだ暗かったのにすっかり空が明るくなった。
波打つ海。そしてオレンジから白へと色を変えていく山際を眺めるのが気持ちがいい。
9月に滞在していたマラケシュではちっとも朝起きることができなかったのにこの違いは何だろう。マラケシュの滞在先でも広いテラスがあって、そこで日記を書くこともヨガをすることもできたはずなのに。
この薄ぼんやりした景色を作り出すのは湿気だろうか。
マラケシュはいつも晴れだった。こんな「あわい」の世界を感じられなかったのかもしれない。
東の空に、白い線が浮かび上がる。今日もどこかに向かう人がいる。
わたしも一旦パソコンを閉じ、からだを動かし始めることにする。
2021.10.9 Sat 7:34 Morocco Essaouira
 

2021.10.08 976. 再び、海辺の街で

いよいよベッドを出ようと決めるまで、随分と長い間うだうだしていた。
昨日まで滞在していたマラケシュと同じように、この街でも早朝、日が登る随分前に祈りの時間を知らせる歌声が鳴り響く。
今日も確かに歌声を聞いたように思うのだけれど、それがどんな質感だったかもうすでに思い出せない。
マラケシュで耳にしていたその歌声は地鳴りのようで、その後に必ずと行っていいほど長くて重たい夢を見ていたけれど、今日はそんな夢を見なかったということだけ覚えている。
昨日調べたところによると今いるエッサウィラでの日の出の時刻は7時半すぎ。だがすでに(感覚的にはやっとという感じだが)周囲は明るくなってきている。
20分ほど前に、「まだベッドの中にいるね」と、もにゃもにゃつぶやくパートナーを残してベッドを出てシャワーを浴び、テラスに出てきた。昨日到着したエッサウィラでの始めの滞在先にはテラスが二つある。どちらからも50mほど先にあるビーチや周辺の街並みを見渡すことができ、今いる一段高い場所にあるテラスからは360度ほぼ全てを見渡すことができる。
吹き抜ける風。打ち寄せる波。そして飛び回るカモメたち。
昨日18時過ぎにエッサウィラに到着したときには街全体、そして海も霧がかっていて2週間前に日帰り旅行で訪れたときほど爽快な感じはしなかったけれど、(そして今も空は薄曇りだけれど)それでも「ここに来て良かった」と思う。
わたしは海や川のそばが好きなのだ。空気と同じように、水が近くにあることが必要なのだ。
そう気づいたのは砂漠の真ん中の街マラケシュで暮らし始めてほどなくしてからだった。
横浜、福岡、そしてオランダのハーグ。これまで海が近くにある街に暮らしてきたけれど、そこに暮らしているからこそ「海が近い」というのは特別なことではなかった。
今年の7月から8月の間滞在していたギリシャのレロス島ではほぼ毎日のように海で泳いでいて、とても気持ちが良かったけれど、それはレロス島の海が綺麗だったからだろうと思っていた。
もちろん綺麗に越したことはない。
でも、そうでなくともわたしには海や水の近くにいることが必要なのだ。
パートナーとの旅の最初の滞在先として選んだトルコのイズミルもエーゲ海に面した街だった。次に滞在したイスタンブールもアジア側とヨーロッパ側の大陸がぶつかる街だ。
そして今いるエッサウィラはモロッコの中では西側の沿岸部の街ということになる。目の前に広がる海を進んでいくと、その先は南アメリカ大陸だ。
日本地図で見ると端と端で、随分と離れているように見えるアフリカ大陸と南アメリカ大陸だが、アフリカ大陸に来てみるとここからはアジア方面に行くよりもアメリカ方面に行く方が近いということが分かった。
刷り込まれた感覚というのは恐ろしい。
自国が真ん中に来る地図を使い続けるというのは世界に対する大いなる錯覚と誤解を生むだろう。
そんなことを考えているうちに、周囲が明るくなってきた。
今月はレロス島で行っていた(そしてマラケシュでは途絶えてしまっていた)朝のワークアウト(ヨガ・ランニング・筋トレ)を再開したい。
そしてこうして日記を綴ることも。
この半年間、トルコ・ギリシャ・モロッコで様々な体験をしてきた。
けれどそれを日々綴らなかったのは朝の時間の使い方が変わったからという理由だけではないはずだ。(時間ならいくらでもあった)
言葉にすることを手放し、体験の中に身を投げ打った半年間。
それを経てここからまたわたしは何をどう綴るのだろう。
言葉で表現することに限界があることは痛いほど感じている。そして言葉にしようとすることで失われてしまうこともあるように思う。
それでも、「わたしは本当に言葉の限界に行き着いたのだろうか」と思うと、まだまだだという答えが迷わず返ってくる。
限界を感じたものに再び向き合い、自分が限界だと思ったものがいかに狭く、その先に無限の知らない世界が広がるのだということをこれから体験していくことになるだろう。2021.10.08 Fri 7:43 Morocco Essaouira
 

2021.06.25 975. 美しい時間、幸せな日々

Time flies.
この言葉の通り、イスタンブールでの時間があっという間に過ぎようとしている。
一方で、前回の日記の最後に記された6.11という日付が、遠い昔のものにも感じる。
今、人生で一番幸せな時間を過ごしているのではないかと思う。
これまでも「今が一番幸せ」と思ってきたけれど、これまでの感覚とは質感が違う、もっと細やかで、網目の細かい生地のような、そしてとてもリアルな感覚だ。
数十分前まで、ベッドの中で夢を見ていた。映画か何かの撮影のために着物を着ていて、でも襟のところから中に来ている洋服が見えて困っていた。そんな話だった。
もう十分に寝たという感覚があり、ベッドを出た。
いつもはもっと寝ているパートナーも起き出した。7時前だが、彼も十分に寝た感覚があるのだろう。
この3ヶ月間、1ヶ月ごとに3つの家に暮らしてきたが、それぞれの家で見る夢の質感が違った。一つ目の家での夢はとにかく重かった。リアルという言い方もできる。夢の中での出来事が、夢と分かっていながらもとてもリアルで、朝から随分とエネルギーを使ったという感覚があった。
二つ目の家での夢は軽やかだった。他の家に比べて見た夢自体が少なかったようにも思う。
今の家での夢は長い。リアルだが、一つ目の家での夢ともまた違った質感だ。
夢というのは自分自身の無意識以上に集合的無意識につながっているのではないかと思う。場所によって、土地によって、そこに横たわる集合的無意識に違いがある。質感の違う夢たちからそんなことを考えていた。
そんなことを書いているそばに、小ぶりな茶色の鳩が二羽やってきて並んで毛繕いをしている。体の大きさと目の周りの色が若干違うのだが、つい数日前まで順番にやってくる彼らを一羽の鳩だと思い込んでいた。
この家の持ち主が鳩たちに餌をあげていたのか彼らは私たちを怖がることなく毎日バルコニーにやってくる。世話好きの彼も鳩たちに毎日餌をあげている。
ある日、バルコニーの横のダイニングスペースでパソコンを眺めている彼の横に鳩が来て、彼が「Pigeon(鳩)」と話しかけている姿を目にした。
美しい時間だった。
イズミルの人たち以上に、イスタンブールの人たちは猫が大好きだ。
若い男性が子猫を可愛がる姿も何度も目にした。
猫を見るときの目は、皆優しく穏やかだ。
都会の中でも自由に生きる猫たちに自分の人生を重ね合わせているのかもしれない。
そんな中で毎日を過ごしているせいか、(いや、きっとそれは理由付けにすぎないだろう)ここのところめっきり成長や変容に関する関心は減ってきている。
シンプルに今日を生きる。楽しむ。少なくとも今の私にとってはそれで十分幸せなのだ。何かを目指さなくてもいい。何かを成さなくてもいい。
そんな想いと、行いをさらに一致させていきたいという感覚がある。
そうするともっと、取り組んでいることを手放していくことになるだろうか。
まずはあと3日間のイスタンブールでの時間を存分に味わいたい。2021.6.25 Fri 7:31 Istanbul そう言えば、昨晩の満月は随分とオレンジ色だった。
 

2021.06.11 974. 素晴らしい景色を眺める、新しい景色を眺める

随分と長いこと夢を見ていた。
ここのこところ毎日そんな感じだ。
恐らく1時間ほどは夢を見ているんじゃないかと思う。
いよいよ目覚めたときは、1日を過ごしたかのようなリアルな感覚がある。
昨日は予定していた打ち合わせがなくなったことから、早い時間から外に出た。
近くのカフェで本を読みたいと思い、歩いて3分ほどのところにあるクロワッサンの美味しいカフェを訪れたが、大通りに面していること、店内にかかっている音楽の音量が大きかったことから別の場所を探すことにした。
現在滞在しているエリアには、本当にたくさんのカフェがある。
しかも、おそらく観光客ではなく地元の人たちが集まっている。
東京で言えば代官山や中目黒あたりだろうか。(起伏もあり、東京に似た感覚をとても感じる)
「グリーンカフェに行こう」というパートナーの頭にどこのカフェが思い浮かんでいるのか分からなかったけれど、とりあえずとついていくと、入り口部分に植物の生い茂ったカフェが見えた。近づくとテラス席の看板も出ている。
テラス席に行ってみたいとスタッフに告げ、案内された5階部分に足を踏み入れて息を飲んだ。正面に、ブルーモスクとアヤソフィア、そしてそれらが建っている半島が見える。約180度、何にも遮られないビューが広がっている。
プライスレスで特別な景色。
だけれどもそこにすでにいるのは2組(1人ずつ)の客。
なんて贅沢なんだろう。
先週末にブランチをしたアジア側の丘の上にあるレストランからの眺望も素晴らしかったけれど、なんと言ってもここは家から歩いて5分もしないところにある。
いつでも来たいときに来ることができる。
そして、今は、この場所に来ることのできる時間が(特に彼は)たっぷりとある。
こうして書きながら、素晴らしい景色を眺めているときの感覚は、その瞬間にしか味わうことができないのだということを感じている。
記憶として呼び起こすことはできる。
しかし、そこで身体の中に沸き上がってきていた感覚は戻ってこないのだ。
だから私は、体験し続けたいのだ。
毎日毎日。家の中でもいい。何気ない時間でいい。
そこにある時間を味わい、生きているという実感を感じ続けたいのだ。
キッチンの横の小さなダイニングに差し込む光が強くなってきた。
窓の向こうに見える向こう岸(イスタンブールのアジア側)はまだ白くもやがかかっている。こうして今日もまた、世界がここに生まれている。2021.06.11 Fri 7:14 Istanbul
 

2021.06.07 973. アラビアンナイトの世界と祈りの場所

随分と長い夢を見ていた。
夢の中で私は弁当を探しており、焼くのに45分ほどかかると言われた鮭の弁当を諦め、その代わりに見つけた春巻きのような、魚の揚げ物を味見し、舌鼓を打ったところだった。
魚をはじめとした日本の食が恋しいのだろうか。
イスタンブールにはおそらく、様々な国の料理を提供するレストランがある。
昨日ざっと近所のレストランを検索しただけでも、パキスタン料理やインド料理などの店が出てきた。トルコに来てから、トルコの料理が世界三大料理と言われる料理の一つだと知ったが、「トルコの料理」なんてものはそもそも存在しなくて、いろいろな国の料理が混ざっていることそのものが「トルコの料理」なんじゃないかという気がしてくる。
窓の外には、アジア側の陸地の岡に立つ大きなモスクのシルエットが見える。
モスクを囲んでそびえ立つ6本の塔は宇宙と交信をしているかのようだ。
観光名所にもなっているブルーモスクも、アヤソフィアも、今にも飛び立ちそうな感じがしたが、それは小さい頃に好きだったドラえもんの映画の影響だということが分かった。
一昨日、イスタンブールの街を1日観光し、中心部のバザールにも足を運んだ。広がる景色は「異世界」そのものだった。「エキゾチック」や「ミステリアス」という言葉が似合う。そして何より「アラビアンナイト」という言葉が浮かんでくる。
「アラビアンナイト」のイメージがどうしてこうも重なるのだろうと思うと同時にドラえもんの映画が思い浮かんだ。そして昨日、午後の散歩を終え、オンラインで見つけたその映画を観たところ、まさに今トルコで目にしているような景色、感じているような感覚を映画の中で味わっていたのだということを実感した。
映画に出てくる、砂漠の中にある金色の宮殿の形はモスクそのものだ。
そしてそのモスクが飛び上がる。
同世代の日本人の「(飛ぶ)モスク」のイメージはこの映画から来ているのじゃないだろうかとさえ思った。
東洋と西洋の間の世界のイメージとして持っていたのはまさにこの映画の世界観だ。
アジアから来た人から見るときっとここはすでにヨーロッパで、ヨーロッパから来た人から見るとここはすでにアジアなのだろう。
ブルーモスクは残念ながら改修中で、中に入ってもその美しいであろう天井を見ることはできなかった。それでもモスクの中で祈っている人がたくさんいて、その光景が美しいと感じた。
一方、アヤソフィアはその建物のつくりの異様さに言葉をのんでしまった。
ちょうど先日観た創造についての話の中で「Egoless Creation」という言葉および考え方を知ったが、アヤソフィアはまさに人々のエゴでつくられた建物だと感じた。
要塞のような佇まいは力や権威を見せつけようとしたその結果に違いない。
長い間協会だった建物がモスクに改修されたとの説明を後で読み、その不自然さに合点がいった。
自然の中に立ち現れてくるものを掘り出したような建物と、何かを示そうとした建物は、こうも違うものかと思った。
中に入ればきっとまた違った印象を持つのだろうけれど、昨年、博物館からモスクに戻ったという話を読んで、ナショナリズムの象徴だということも湧いてきた。この国は美しいが、知らず知らずのうちに統制され、そうされていることにさえ気づかなくなっている人たちを見ると、国や世界の未来を憂わずにはいられない。
知らないということ、気づいていないということは恐ろしい。
それでも、祈りは、平和につながる道なのだと信じたい。
外がだいぶ明るくなってきた。向こう岸に見える大きなモスクはやはり今にも飛び立ちそうだ。2021.6.7 Mon 7:00 Istanbul
 

2021.06.02 972. 目覚めと世界が生まれる音

うっすらと聞こえてくる鳥の声の中で「今生まれている」と感じた。
寝ている間は、「からだ」や「意識」と呼ばれるものが世界に溶け込み、目覚めととももにまたそれらが蘇生される。そんなイメージが湧いていた。
それはきっと昨晩、「中動態」についての話を聞いたからだろう。
「創造(Creation)」の研究をしている井庭崇さんの話は、とても興味深いものだった。Egoless(無我)から創造が始まる(始めるのではなく、始まる)ということ、そして、私たちはかつて、能動態と受動態ではなく、能動態と中動態を使っていた(言語の中に存在していたが消えてしまった)という話。
パートナーと一緒に英語に同時通訳されたものを観ていたのだが、不思議と内容は入ってきた。共有されていたスライドに日本語と英語が併記されていたからだろうか。(英語で聞いて英語で理解する脳と、日本語を見て日本語を理解する脳、どちらもが同時に働いているようだった)
「わたし」という存在が、確固たるものなどではなく世界の一部であり、大きな「流れ」の通り道にすぎず、たとえば「考え」として浮かんでくるものも、ただ、どこからかやってきて通り過ぎていくものだとすると…ある人は「わたし」という存在のアイデンティティが不確かなものとなり、心もとなさを感じるかもしれない。一方で生きることが楽になる人もいるだろう。
Egolessを受け入れるためには一旦はEgoで思いっきり生きることが必要なのだろうか。
とにかくわたしは、小さな粒子の集まりであり、それは「物質」として見えている(と思っている)ものと同じく、ほとんどはスッカスカで、世界との境目はあるようでなく、常に「意識」は世界の流れの中にあり、ほとんどが「集合的無意識」と呼ばれるものであると、今はそんな感覚がある。この感覚さえ、どこからやってきたもののような気がしている。
世界に起こるCreationの通り道としてのわたし。そう思うと取り組むべきことは明確だ。世界を感じ、すでにそこに立ち現れているものがさらに生まれていくように仕えていく。
静けさの中にある鈴の音のようなものはきっと、世界が生まれる音なのだ。
目覚めたときよりも随分とハッキリとしてきた「意識」のようなものを感じながら、そんなことを思っている。
2021.06.02 Wed 7:12 Istanbul
 

2021.06.01 971. イスタンブールでの暮らしの始まり

 
鳥の声で目が覚めた。
少しの間、まどろみの中で心地良さを味わい、意識がはっきりしてきたところでベッドを抜け出す。
昨晩セットした警報を解除する。
お湯を沸かす。
リビングの横の書斎のスペースでゆっくりと太陽礼拝のポーズを行い、さらに10分ほど瞑想をする。
ハーグでの暮らしで毎朝日課だったことに、少しだけ違うことが加わっている。
こうして書きながら、「天井が高くてレリーフがあるからなんとなくハーグの家と共通した感覚があるんだ」ということに気づく。
それでも、ハーグで暮らしていた家よりもこの家には随分と余白がある。
昨日、予定よりも1時間半ほど早く到着した6月の滞在先にはまだオーナーのカップルがいた。
これからギリシャの小さな島に(それも、あまり知られていない、観光客が来ない島に)行くのだと言う。
話の流れから、カップルのどちらかが絵描きなのだと分かった。
リビングに掛けられた大きな絵も、彼、もしくは彼女によって描かれたものなのだろうか。
4月、5月の滞在先も素晴らしかったが(特に5月の滞在先のバルコニーはとても心地よかった)、この家に来て思わず「すごい」と声を上げてしまった。
映画に出てきそうな木の扉のついたエレベーターがあるほど古い建物だが、中は綺麗にリノベーションされており、家具の一つ一つにも味わいがある。大きなキッチンは、これまで見たことがない、そして表現する言葉さえ見つからない(敢えて言うなら「インダストリアル」な感じなのだが、その言葉では言い表せない荒さとかっこよさがあある)。味わいとこだわりと余白。どんなに計画をしたとしても、この空間の雰囲気は生まれないだろう。時間の流れと幾人もの人の想いがこの空間を作り出しているに違いない。
オーナーが使っていたギター置きに持ってきた小さなウクレレを掛けると、誰かの人生に私たちの人生が混ざる、少し不思議で少し嬉しい感覚が生まれた。
家の周辺には小さなカフェがたくさんあり、そして歩いていける範囲に、アジアとヨーロッパを別つ海(水路と言った方がいいのだろうか)が見える場所もある。
2ヶ月間を過ごしたイズミルより大きく、随分と商業的もしくは経済的な発展を追っている感じのイメージでその分人も商売っ気が強いが、それもまたエンターテイメントの一つとして楽しめばいい。
ここで1ヶ月間、どんな時間を過ごすことになるだろう。
アジアとヨーロッパをつなぐ場所で静かに生まれるものを味わっていたい。2021.6.1 Istanbul
 
 

2021.05.31 970. 心地いい場所を去るとき

 
微かに響く歌声をベッドの中で聞いていた。
夜が深まりゆくのか、明けようとしているのか、窓の外の静けさからは分からなかったけれど、もう夜明けがやってきているのだと、その知らせで分かった。
出発のときだ。
2ヶ月を過ごしたイズミルを離れ、イスタンブールに向かう。
「挨拶をする顔見知りができたときは、その場所を去るときだ」
数日前にそんな言葉を口にしたらパートナーは笑っていたけれど、私にとってそれは正直な感覚だ。
心地良さを感じ、そこから動けなくなる前に安心領域を抜け出す。
気づけばこれまでずっとそうしてきたし、これからもきっとそうしていくのだろう。
イズミルでの時間は本当に、素晴らしく、美しい時間だった。
特に今の家に滞在した5月は、静けさの中で目覚め、心穏やかに過ごし、パートナーともたくさん話をし、たくさん散歩もした。
パワースポットのようなバルコニーのことを向こう10年間くらい思い出すことになるのじゃないかと思う。いやきっと、こんな場所を自分たちで作らずにはいられなくなるだろう。
「余白」
もしくは「引き算」
という言葉が浮かんでくる。
世界にいかに余白をつくるか。
忙しく、「足し算」ばかりになっている毎日の中でどう、手放していくか。
今はそんなことに意識が向いている。
だから、取り組みとして届けていくものたちも、どんな設計や構造にしたらいいだろうかと思う。
「何かを学んだ先に手に入るものがある」というのは確かにそうだったのだけれど、大切なことは「すでに満ち足りている」ということに気づくこと。すでにあるものが、発揮される環境や関係性をつくること。
今感じるのは、世界はとてもシンプルだということ。
私たちが直面する課題は、一見難しく、複雑になっているように見えるけれど、それらを解くために必要なことは、結局シンプルなのだ。
共通点も違いも超えて対話をすること。
自分の中につくる「内的な他者」ではなく、「今ここに生まれた存在」としての他者の声を聴こうとすること、対話をすること。そのおおもとにあるのは自分自身と対話をすること。
「他者との対話」だと思っていたものが「自分との対話」だったことに気づくとき、世界には敵も味方もいないのだと気づく。
その世界はシンプルだが、少しばかり孤独だ。
孤独だけれども、あたたかい。
世界は自分だったのだと気づくとき、自分は世界の一部になり、世界を作っているのは愛なのだと分かる。
失うものなど何もないのだと気づいたとき、命は、一瞬で永遠のものになる。
囁く星たちの声の中で、そんなことを思っている。2021.5.31 5:19 Izmir
 
 

2021.05.28 969. 自由に生きるということ

 
バルコニーで少しの間瞑想をしてから日記を書こうかと考えていると、パートーナーが起き出してきた。
いつもは、私が朝バルコニーでひとしきり本を読んだ後もなお、彼は寝ている(うっすら起きてはいるんだろう)ことが多いが、今日はベッドから起き出してくる気になったらしい。
「オハヨウ!」と満面の笑みを浮かべている。
昨日は1日予定がなかったのでイズミルの街の中心部のバザールからほど近い丘の上にある遺跡のようなものを見に行った。イズミルには2ヶ月間滞在しているが、いわゆる観光スポットのようなところにはほとんど行っていない。
こうして書きながらどうも言葉たちが「よそ行き」な感じがしている。朝一番の、一番社会から切り離された時間に浮かび上がってくることを言葉にしようと思っていたが、届いていた数件のメッセージを読んだところですっかり他者との関係性の中に身を置く自分の意識につながったようだ。
5月を過ごした家もとても気持ちよく、特に多肉植物の鉢植えが並べられたバルコニーはパワースポットのような場所で、毎朝そこで日記を書こうかと思っていたが結局ほとんど書かないままだった。
その代わりに最近は毎朝英語の本を音読していて、それもとても良い時間だった。夕方は仕事を終えた後はパートナーと散歩をしのんびりと海を眺め、夕食を食べ(夕食が先のこともあるし、海を眺めながら夕食を食べることもある)、夜はNetflixやamazon videoで何かしらのプログラムを一緒に見ることが日課になっていう。
振り返ってみると、以前のように「自分の時間」がたくさんなくても穏やかな心で過ごせているということに気づく。彼との会話や対話は引き続き日本語のようにスムーズにいかないことも多いが、「わたし」と「あなた」と「わたしたち」の関係性は確実に変化しているように思う。このあたりはまた、改めて言葉にしてみたい。
昨日、丘の上のお城の跡のような遺跡を歩きながら「『好きな人と好きなときに好きなところで好きなものを好きなだけ食べる』という人生を送れるといいなと思っていたけれど、それが実現できているのだな」ということが浮かんできた。
実際のところ、好きなものを好きなだけ食べたら大変なことになることも分かった。(4月に、滞在していた場所の近くのレストランが気に入り、毎日そこで夕食を摂っていたところ、私のおなかはすっかり丸くなり、彼は尿管結石になった)
今思えば、そもそもどうしてそれが「実現したいこと」だったのだろう。それはつまり、「実現できないことの方が多い」と思っていたということだ。「たくさん仕事をして、自由に過ごすことのできる時間は限られている」「たくさん稼がないと好きなところに行ったり好きなことをして過ごすことはできない」そんなことを誰かにあからさまに言われていたわけではないけれど、社会の中にある様々なメッセージからそんなことを受け取っていたのかもしれない。
そんな思い込みがあったこと自体は悪いことではないだろう。
そんな思い込みがあったからこそ、好きな人と好きなところで過ごせる時間を、とても嬉しくかけがえのないものだと感じられるのだ。
明明後日にはイズミルを離れ、イスタンブールに移動する。
イスタンブールではどんな景色を見るだろうか。何を感じるだろうか。
少し先の未来に胸躍らせつつ、今日ここにある時間を味わい尽くしたい。2021.5.28 8:01 Izmir

2021.05.20. 968 美しい日

 
人生は美しい。
この10年間で何度かそう感じる瞬間があった。
それがいつだったかは覚えていないけれど、どれも、日常の中の何気ないシーンだったと思う。
4月末から約2週間ほど続いたラマダンと厳しいロックダウンが明け数日経った火曜日、15時過ぎにセッションを終え、バルコニーで寛いでいたパートナーに散歩に行こうかと声をかけた。
気温はもうすっかり上がっていて、日差しの感覚は日本の初夏に近いが湿気が少ないためか暑くても快適だ。そして(これは欧州の夏にも感じてきたことなのだが)トルコには蝉がいないため、とても静かだ。
どこへ向かうともなく歩いていると彼が「あのカフェでブラウニーを買って海に行くのはどう?」と聞いてきた。いいアイディアだと頷く。
ロックダウン中にも開いていたそのカフェのマスターの手作りのチャイとチーズケーキはもうすっかり私たちのお気に入りだがまだブラウニーは食べたことがない。
「私はまだ上手く食べられるか分からないから、カップのティラミスにしようかな」
数日前に歯の治療をした関係で今は食べ物を上手く噛むことができない。それでも、良い歯医者を見つけてすぐに治療を受けることができたのは本当にラッキーだったなあ。なんてことを考えながら歩き続けた。
チャイとスイーツを持って海に向かう。
先月から滞在しているイズミルはエーゲ海に面した街だ。
海沿いは遊歩道や公園、自転車専用道が整備されていて、果てしなく海沿いを歩いていけるような感覚になる。
海沿いのスペースには「賑わっている」と言っていいくらい人がいる。
アウトドア用の椅子を持ってきている人も多く、思い思いの場所で思い思いの時間を過ごしている。
約2週間の厳しいロックダウンの期間は、スーパーや八百屋、パン屋など生活に必要な店だけが開いていた。カフェなど一部テイクアウトができる店もあったが「ほとんどの店が閉まっていた」と言ってもいい。
学校は休みになり、公共機関の利用も特別な理由がある人のみ許可され、向こう岸との間をつなぐフェリーも朝晩だけになっていた。
街はとても静かで、それは私の仕事にはとても良かったのだけれど、ここまで厳しい行動がなされる中でこの街の人々はどうやって過ごしているのだろうと不思議でならなかった。
オランダでは夜間の外出制限が出されたときに各地で暴動のようなものが起きたが、「自由」や「自己選択」をアイデンティティとする国と、何かに従うことが当たり前になっている国ではこうも起こることが違うのだろうかなどということを考えていた。
イズミルには(おそらくトルコ全土で)猫が本当にたくさんいるが、猫とともに暮らす人々は気質がのんびりしているのだろうかということを本気で思ったりもした。
釣りをする人たち、芝生の上で寝転ぶ人たち、音楽を奏でる人たち…。
「ここの人たちが普段からこうやって過ごしているのだとしたら、彼らは人生を楽しむということを知っているのかもしれないね」
イズミルの人々を見て、同時に日本のことを思う。
夕日を見ながら家族や友だちとゆったりとした時間を過ごす。
そんな毎日が続いたら、それは特別ではなくなるのだろうけれど、でもきっと、そんな風に過ごす人生は幸せな人生に違いない。
幸せに生きるのに、そんなにたくさんのものはいらない。
そんなことをこれまでも5年に一回くらい強く思ってきたけれど、このままこの感覚を持ち続けるだろうか。それともまた、成長や変容に魅力を感じるようになるのだろうか。
そんなことをゆらゆらと考えながら、ただそこにいた。
19時を過ぎてもなお高い位置にあった太陽がやっと沈み始めた。
沈み始めたらあっという間だ。
家路に着く人たちもいるけれど、まだその場に留まっている人も多い。
「トルコピザを買って帰ろうか」
そう言って彼が立ち上がる。
肩にかけていたカーディガンを羽織り、差し出された手に手を伸ばす。
歩くときはいつも手の届くところに彼の手が差し出されている。
幸せを感じる小さな瞬間が、毎日たくさんある。
今はまだ英語で表現できないことも多いけれど、いつかこの幸せな感覚を彼に伝えたい。
そう思いながらいつものように手を繋いで、数日前に見つけた年季の入った雰囲気のトルコピザを焼いているお店に向かった。2021.5.20 Thu Izmir
 

2021.05.17 967. ゆるやかに変化する間隔

 
おぼろげな意識の中で歌を聞いていた。
「ロックダウンが終わったため、モスクから礼拝を知らせる歌声がまた流れ始めたのだろうか」ということが浮かんだ。
4月に滞在していた場所とは違い、ここでは聞こえてくる歌声はとても微かだ。
言葉も分からないし、リズムや節があるのかさえ分からない。
何かに包まれていたのだとするとそれは「祈り」だろう。
毎日祈りに包まれる。
そんな風に生きているから、こんな状況でもこの国の人たちは穏やかなのだろうか。
トルコでの暮らしが1ヶ月半、オランダでの暮らしも含めると3ヶ月半を共に過ごしているパートナーとは、だんだんと色々なことが交わせるようになってきた。
ひとえに、私の英語力が上がっていることが大きいだろうけれど、それだけではない。
お互いに「聴く」ということが増えているように思う。
だからこそ、随分と視点や考え方が違うのだなと思うことも多いけれど、違いを知った上で、一緒にいるというのは、自分にとって都合がいいことだけを知って一緒にいるよりもずっと根っこが安定している感覚がある。
昨日は私が久しぶりに1日休みだったためにフェリーかメトロ、もしくはタクシーを使って向かいの岸に行きシティトリップをしようと話していたが、出かける前にお腹が空き、前日の夕食の残り物を食べたら眠くなり、気持ちよく昼寝をし…などとしていたら結局出かけずに1日を過ごした。
現在滞在している家は静かな住宅街の中にあるが、持ち主が集めたであろう多肉植物がたくさん植えてあるバルコニーがとても気持ちよく、セッションや会議以外の時間は大抵そこで過ごしている。
私がバルコニーにいるときは彼から見るとどうやらリラックスしている、もしくはだらだら過ごしているように見えるらしく、よく話しかけてくるのだが、意外と考え事やメールの作成をしていることもあり、そのときにどこまで話を聞こうか、しようかと迷うことも多い。
それでも以前よりはだいぶ感覚が変わった。
以前は頑なに「わたしの時間」という感覚があった。
オンラインで誰かと話しているとき以外は「わたしの時間」であって、そのときは取り組んでいることに集中していたい。
一人で過ごしてきた時間の中で無意識のうちにそんな考えが生まれていたのだろう。知らず知らずのうちに暮らしの中で他者との境界線が明確に引かれるようになっていたことは、彼との暮らしを始めなければおそらく気づかなかっただろう。
一方で「わたしたち」の感覚が強い彼は、私が明確に境界線を引くと悲しい顔をする。
お互いに全く違う世界観の中で生きていたが、最近はそんな中でも少し、相手との境界線の引き方が変わってきたはずだ。
おそらく、ここ何回かの日記には同じようなことを繰り返し書いてきているだろう。
5月も半分が過ぎた。おそらく来月はまたトルコ内で別の場所に滞在することになるだろう。その前に1日休みの日に何度かデイトリップを楽しむこともできるはずだ。
今いる場所で、ともにいる人との時間を味わう。これまでとは違う時間の使い方にまだ戸惑いもあるけれど、だからこそこの感覚の中に身を委ねたい。2021.05.17 Mon Izmir
 
 

2021.05.07 966. あわいの旅

 
今日も鳥の声で目が覚めた。
4月末にイズミル内で滞在先を移動して以降、ほんのりと明るくなる空の感覚と鳥の声で目が覚めることが続いている。目覚ましのアラームを使わなくていいというのは本当にありがたい。
しばらく布団の暖かさを感じていたら、隣に寝ている彼がうっすらと目覚めたようで身体を寄せる。男性でかつ、欧米人の割に(というのは思い込みだろうか)体温が低い彼は、いつくっついてもちょうどいい温度だ。またひとときまどろみを続け、いよいよベッドから起き出そうとするときに「おはよう」と声をかけると、同じように「おはよう」という言葉が返ってくる。
「おはよう」と「おやすみ」を言う瞬間が一日の中で一番幸せだと思う。
そんな話をしたことがあるせいか、彼はどんな日も欠かさず「おはよう」と「おやすみ」を言ってくる。いつも言っているせいか、発音はもう、ほぼ日本人のものだ。
私が「おはよう」や「おやすみ」を言い忘れることがあろうものなら、「今日はおはようを言わなかった」と言ってくる。心の感覚が敏感な彼にとっても、それらの言葉はつながりを確認したり新たなつながりをつくるものになっているのだろう。
4月の滞在先はテラスからエーゲ海が見える三階建ての一軒家で、言わば特別な場所だった。5月の滞在先は集合住宅だが、バルコニーがとても気持ちがいい。腰掛けることのできるソファースペースに、たくさんの多肉植物たち。火を起こすことができるスペースもある。(起こした火は思いの外激しく、煙がたくさん出てゆっくりと楽しむことはできなかったけれど)
誰かのためではなく、まず自分のために、本当に好きなものが集まっている場所。そんな場所は心地いい。
2年半暮らしたハーグの家にもテラスがあったけれどこんな場所にできるということを考えさえしなかった。
「彼女(この家の持ち主)は、何か特別な状態でテラスのビジョンを見たのだろうね」
テラスでビールを飲みながら、そんなことを話した。
4月から仕事から離れていた時間も多かったためか、今は成長に対する意欲は薄くなっている。およそ4年のスパンで、上昇と下降、あるいは成長と今に在ることの間で価値観が大きく揺れ動いてきた。今は後者の方に振れているときなのだろう。同時に、関心の向く先も個人から人と人とのあいだにあるものにシフトしている。屋号である「あわい」に戻ってきたとも言えるし、こんな風に何かと何かの間をゆらゆらと揺れること自体もあわいなのだ。
いつかはこの「あわい」という概念を超えるときが来るのだろうか。「あわい」は「あいだ」という意味だが、「あいだ」が成り立つためには何かと何か、分かれた二つのものが必要だ。分かれていると思っていたものは実は一つのものだったと気づいたとき、「あわい」はどこに存在するのだろう。
こうして書きながら、この静かな朝の時間に懐かしい感覚を感じている。言葉や意識になる手前のものたちがそっと降りてくる時間。明確な意識とともに何かを書くのもいいけれど、そのときは意識の域を出ない。意識の外側からやってくる言葉を綴って綴って綴る。目的のために為すのではない行為こそが、今取り組んでいたいことだ。
これまで日記をアップしてきたウェブサイトが、システムがアップデートされたためかこれまでと同じようにすることができなくなり少し困っている。できれば根本的な対処を見つけたいが、日記を書いてアップするというルーティンを取り戻すためにもとりあえずできる形で上げてみた方がいいだろうか。
フローニンゲンに住む友人の日記もしばらく読んでいないが、彼は元気にしているだろうか。
この家での暮らしや目の前にいるパートナーとの時間をまず大切にしながら、見えるもの、聴こえるものを超えた世界との対話もまた続けていきたい。2021.05.07 Fri 6:58 Izmir
 
 

2021.04.20 965. 束の間の漂いの中で

 
パソコンで何かしらの作業を始めると、あっという間に時間が過ぎていく。集中する感覚や物事が進む感覚は心地よいが、はて、結局何をしたんだっけと思うこともある。
今月から、イベントのお申し込み受付やご案内のプロセスを簡略化するために新しいシステムを導入しているが、一時的に手間が増えているように感じる。特にイベント作成時はこれまで以上にあれやこれやと設定することが多い。がしかし、全体で見ると、特に決済の案内や確認等についてかかる時間と手間が減っているはずだ。
実践し深めていることをオープンに世界に開いていきたいという思いがあるが、そのプロセスで発生する諸々の手続きが時に負担に感じてしまうので誰か得意な人に頼もうかとも思うが、そもそもプロセス自体、もしくは世界との接点の持ち方の認識自体にもっと改善できるところがあるのだろうか。世界や他者とは本来一体なはずであると考えると、インプットとアウトプットの境目も曖昧になり、為すべき活動自体ももっと変わってくるかもしれない。今は主催するイベントに参加してもらうという形を取っているが、そうではなくて私自身がもっと出ていって参加する側になるというのも一つの手だろうか。
もっとシンプルに、美しく。(私の中ではシンプルさは美しさの条件でもある)軽やかに、穏やかに。そんな風に世界とつながって、というよりも、ただそこにいられたら素敵だなと思う。
この後の打ち合わせに向けてすでに意識は思考モードになり、深く潜っていこうとする感覚を引き戻す。今に居続けることがもっと出来たなら、短い時間でももっと言葉を深めることができるだろうか。
随分とたくさん時間があるように見えて、深めたいことは遅々として進んでいないように感じるのも、時間に関する認識や物事への向き合い方にアップデートできる点があるということだろう。スケジュールに入っている予定ではないものに、日々多くの時間を使ってる。浮かんでくることをただ書き散らかしたような時間だったが、少しでも書くことを続けていきたい。2021.4.20 Tue 8:41 Izmir
 
 

2021.04.19 964 日曜日のピクニック

 
昨晩、眠りに就く頃からずっと雨の音がしていた。そもそも、私は眠りに就いたのだろうか。
 
トルコに来てから約3週間、良く眠れる日となかなか寝付けない日が混ざり合っている。眠れないときは大抵、お腹がゴロゴロ言っている。「お腹の調子が悪い」とまではいかないけれど、お腹にガスが溜まっているのか、とにかくお腹が何か活動しているのだ。そんなときは私だけではなくてベットを共にしているパートナーも何度かトイレに起きる。トイレからベットに戻る度にほどよいぬくもりを感じて幸せな気持ちになるのだが、ぐっすりと寝た実感がないのはなかなか辛い。(そうは言ってもきっとある程度寝てるのだろうけれど)
 
そして今朝も、大音量の歌声で目が覚めた。まだ暗いうちにモスクから鳴り響く礼拝の時間を知らせる歌声。これまでは目が覚めても時刻を確認することをしていなかったが、一体これは何時に鳴っているのだろうと思い、今朝は時刻を確認してみた。4時56分…思ったよりもずっと早い。(6時頃かと思っていた)この時間から実際に礼拝をしている人がいるのだろうか。トルコは今、ラマダンの時期を迎えているが近所のレストラン等は通常通り運営しており、一見、ラマダンだと聞かなければそうとは分からないくらいだ。それでもきっと、富士山の見える場所に暮らしている人たちにとっては視界にいつも富士山が入っているのが当たり前になっているように、1日5回、礼拝を知らせる歌が鳴り響くのは「日常」なのだろう。
 
昨日は5kmほど海沿いの道を歩き、大きな公園に行った。パートナーが「日曜はピクニックをしよう」と行ったのは二日ほど前だっただろうか。私が仕事がない日曜日は一緒にハイキングかピクニックに行きたいようだ。「ピクニック」という単語を彼が発することに違和感があるのは、「ピクニック」を(若い)女性や子連れの家族がすることだと思っているからだろう。彼が発する日本語もしくは英語を聞いたときに自分の中に生まれる感覚から、普段いかに言葉や物事に対するイメージを持っているかというのが分かる。毎日毎日、本当に、呆れるほどに発見がある。彼が日本人とは全く違う文化や慣習を持ったオランダ人だから余計にそう思うけれど、きっとパートナーが日本人であったとしても毎日たくさんの発見があるだろう。それほど、私たち一人一人は見ている世界が違っているのだ。「自分」という頑なな世界を打ち破るためには他者の存在は大きな助けになる。(時に大きな衝突もあるが)
 
人のいない公園でパンやサラダ、フルーツを頬張り、あれやこれやと話をし、やってきた海沿いの道を戻っていると、バイクに二人乗りをした警察官がやってきた。ツーリストだと言うと、パスポートを見せろと言う。現在トルコは週末はロックダウンで必要な買い物にしか出ることができないが、旅行者はその対象とはなっていない。スマートフォンに保存したパスポートの写真を眺め、警察官の一人が英語で何か言おうとする。どうやら、旅行者は海沿いを自由に歩くことができるが、トルコの人はそれを嫌がるらしい。だから海沿いではなく、街の中を歩いてくれと言うことだ。
 
「No logic だけど、警察官がそう言うなら仕方がない」と、2本ほど内側の道に入っていくと、思った以上にたくさんの人が歩いていた。「これはロックダウンじゃないよね」と話しながら歩く。海沿いの方がひらけていて、感染のリスクも少ないのではないかと思うが、そういう話ではないらしい。
 
きっとトルコの人たちも納得をしていないのだろう。だから、自由に動ける人を見ると嫌がるのだ。もちろん、人が動き回って感染のリスクが高まることを恐れてもいるのだろうけれど、「嫌だ」という気持ちはもっと違うところからも生まれているはずだ。入国の際にPCR検査が義務付けられていることを考えると、国内にいる人同士の接触の方がよっほど危険だと思うのは、旅行者の自分にとって都合のいい目線なのだろうか。
 
そんなことをはじめ、またいろいろなことを考えた日曜日だった。2021.4.19 Mon 8:51 Izmir
 
 

2021.04.16 963. 新しいパソコンを前にして

 
仕事場として使っている3階の部屋は東側からの日差しが差し込んでいる。近くの幹線道路を通る車の音が聞こえるが、同時に鳥の鳴き声も聞こえる。世界はいつも、いろいろな層が重なっているのだと思う。
 
3日前の夕方、誤ってパソコンの画面を破損してしまった。破損と言っていいのだろうか。外からかかった強い力によって(私の力ではないが)ディスプレイの中のハードウェアが壊れてしまったようで画面の左半分が映らなくなった。起動をして操作をすることもできるが、半分しか画面が使えないと不便だし、できないこともある。
翌日の朝にはイズミルの中心部にあるアップル製品の修理を行なっている店に行ったものの、修理に10営業日かかると言われ、修理を断念し、新しいパソコンを購入した。
パソコンは、自分自身を除いては唯一の仕事道具と言っていい。何かのときにそこに投資する心の準備は出来ていたのだと思う。唯一の懸念はキーボードがトルコで使われているアルファベット(?)に準拠しているため、右端に6つほど見慣れない文字があることだったが、キーボードの設定ができること、そもそも普段はMagic Keyboardという、本体とは別のキーボードを使っており、それが引き使えることから、使い勝手に大きな違いはないと判断した。
 
実際に使ってみて、これまでとは使い勝手が違う部分がたくさんあるが、それは使いながら慣れていくしかないだろう。これまでであれば頑なに使いやすい設定にしようとしていたが今は新しい設定に自分が合わせてみようという感覚が大きい。指の動きも、頭の働かせ方も、マイナーチェンジを繰り返すのがいいかしらとさえ思う。そうしなければいつまでも「これまでのやり方」にこだわって、気づけば自分が化石のようになってしまうかもしれない。テクノロジーがどれだけ人間を幸せにするかについては未だ懐疑的なところもあるが、とりあえずは自分自身がいつも新鮮にいられるようにテクノロジーを活用したい。
そんな中でもこの、予測変換機能というのはどうにかならないのだろうか。確かこれまでのパソコンにもすでにこの機能はついていて、それをオフにしていたのだが、新しいパソコンでは機能をオフにする方法がまだ分からない。「新しい設定に自分が合わせてみよう」と言いながら、早速こだわりがにじみ出てきているが、少なくとも少し文字を打っただけで色々な選択肢が表示されるというのは私にとっては余計なお世話である。何より視覚的に刺激が大きい。まっさらな紙に浮かび上がってくることを静かに綴りたいのに、タイプするごとにたくさんの言葉が表示されるというのは困ったものだ。この機能はどういう意図のもと作られているのだろうか。より早く、たくさんの言葉を綴ることができるのだろうか。個人的には、人がもっとゆっくりと言葉や他者、自分自身に向き合うことを許容する方向に世の中が向かってほしいと願っている。
 
昨日は近くの小さなトルコの伝統的な料理を出す店で(気に入ってここのところ夕飯は毎日そこで食べている)夕飯を食べ、その後海沿いを散歩し、海に飛び出たベンチに腰掛け、パートナーと取り止めもなく話をした。
 
今大事にしたいのはそんな時間だ。ともに過ごし、対話をする。対話と呼べるのかは分からない。私の英語ではまだ、彼と対話は出来ていないだろう。それでもともにいて、話をする。自分自身との対話、そして身近な人との対話。それが人生を彩り豊かに、幸せなものにしてくれるのではないか。そう書くと何か自分の幸せのために他者を利用しているようにも聞こえるけれど、命と命が出会うことそのものがとても美しいと感じる。「It’s a beautiful day」もしくは「Life is beautiful」の感覚を感じることができたら、それだけで、幸せな人生なんじゃないかと思う。2021.04.15   Thu 8:43 Izmir
 
 

2021.04.12 962. イズミルの朝、内と外について

 
久しぶりに礼拝の時間を告げるアザーンと呼ばれる歌声で目が覚めた。おそらくその前にすでに眠りが浅くなっていたのだろう。7時になればセットしたアラームが鳴るだろうから、と、時刻を確認せずに再びベッドにもぐる。男性にしては珍しく低体温でいつも手が冷たいパートナーの手も、朝のベッドの中ではあたたかい。
 
クリスタルボウルのやさしい音のアラームを合図にベッドから出てシャワーを浴びる。身支度をしてキッチンに向かい、水をあたためている間にキッチンの脇にヨガマットを広げ、太陽礼拝のポーズを繰り返す。最初の一口はプレーンな湯。そのあとにグラスに大麦若葉のパウダーを加える。 気づけば1年以上続けてきた朝の習慣だ。
 
これまでと違うのは、家が3階建ての一軒家であるということ。そしてここがトルコであるということ。
 
あっという間に一ヶ月の半分が過ぎようとしている。これまでの二週間のことを振り返ろうかとも思うけれど、あまり意欲が湧かない。これまで生きてきた時間と経験を通して今ここにいると思うと、今ここわたしが感じることを言葉にしていくことが、結局これまで過ごした時間を記すことにもなるのではないかという気がしている。
 
今日は月曜日だが、今日からロックダウンが厳しくなりカフェやレストランはテイクアウトの営業しかできなくなると聞いた。(これまでは平日の夜と週末のみのロックダウンだった)そのためか、近くの幹線道路を通る車の量はいつもよりも少ないように思う。それでも往来の音は止まないので、そこそこに車は通っているのだろう。さらに明日からはラマダンに入る。街や人がどのような状態になるのか、今は想像もできない。
 
そして私は二週間の休暇を終え、通常の仕事モードに戻る。おなかの調子が時折悪くなることを除けば、身体は比較的クリアな状態だ。あたたかくなって意識が外に向かっていることを感じる。自然の流れにのりながら、ほどよく内的な感覚を感じられる状態でいたい。
 
そう言えば、と思い出す。この二週間、『関係からはじまる −社会構成主義がひらく人間観』という書籍を読んでいたが、社会構成主義の考え方に基づくと、そもそも「内側」というのが存在するのだろうかという疑問が湧いてくる。「内側というものの存在を認めることが果たして人間にとって幸せなのだろうか」という疑問と言ったほうがいいかもしれない。
 
屋号である「あわい」のもととなった、能楽師の安田登さんの『あわいの力 「心の時代」の次を生きる』でも、人間が「心」というものの存在を認めたことによって苦しみや葛藤が生まれたという話が書かれていた。
 
心を認めるとき、そこに世界との分断が生まれる。というのは「心」をある特定の認識を持って眺めたときに起こることだろう。人間の成長が境界線の更新の繰り返しだとすると、心を探求した先には心という存在が世界に溶けていくということになるのかもしれない。
 
そんなことを考え、社会構成主義を支持する感覚を持ちながらも一方で◯◯主義というものそのものが危険性や限界をはらんでいることも想像する。特にアカデミックな分野になると、他の分野との差別化が必要になるためときに大胆な、もしくはある種明確な主張が必要になるだろう。大学もしくは研究期間等の中で研究が行われ、研究費やポジションの確保が必要になるのであれあなおさらだ。教育や研究がビジネスのように短期もしくは中期の投資対象としてみられたとき、教育や研究の構造そのものが歪む。研究者は自分の身を置く世界の構造に気づくことが必要だが、気づいたところで変えられないと感じる強固な構造がすでにあるのも事実だろう。
 
そんな中で私はどんなテーマを、どんな立場で探求および実践していくのか。 それはこの二週間の浮遊するような時間の中で自然と浮かび上がってきている。これまで以上に、手放すものも出てくるだろう。そのときにいかに世界と自分を信頼するか。降りてくるメッセージを伝える役割として自分を世界に明け渡すことができるか。
 
窓の外の日差しが強くなってきた。エーゲ海の青は今日も深い。2021.04.12 Mon 8:24 Izmir
 
 

2021.04.10 961. トルコ、10日目の朝

 
土曜の朝、何か外的なものの刺激を受けてというよりも、自然に目覚めた感覚がある。トルコに来て10日、初めての感覚だ。滞在している家は3階建ての一軒家で総じてとても気に入っているが、すぐ側を通る幹線道路の音だけは気になる。以前、消防署の近くに住んでいたときに最初は夜中に出動する消防車の音が気になっていたが気づけば気にならなくなっていたという体験がある。おそらくここにずっと住んでいたらこの音にも慣れるのだろう。
 
昨日はトラムとバスを乗り継いで、Urlaという地域まで足を伸ばした。普段なら観光地として賑わっているであろう小さな船の集まる漁港も、昨日は人はほとんどおらず閑散としていた。トルコでは平日の夜間と週末がロックダウンだったが(週末のロックダウンでは観光客は行動の制限はない)月曜から平日の昼間もロックダウンになり飲食店もテイクアウトしかできなくなるということでその前の最後の金曜は出歩く人が多いことを予想していたが気温が低く風が強かったためか思ったほどの人出がなかったのだろうか。(もしかすると漁港も夕方、日の沈む時間にはレストランのテラス席で食事をする客で賑わっていたのかもしれないが)
 
漁港の中心部にある、ガラス張りのカフェに入りトルコ式の朝ごはんを頼んだ。こうして書きながら「そのとき私は何を感じていたのだろう」ということを思い返している。
 
オランダ人のパートナーとは日本語で会話することはできない。彼は英語が堪能だが、私はそうでもない。結果として会話は少なめになるのだが、私の場合は日本語を話す日本人と一緒にいても基本的には言葉は少ない方なので(と思っているのは自分だけかもしれないが)あまり変わらないかもしれない。心静かに、ただ目の前にあるものを味わう。浮かんでくることを言葉にする。おそらくそれはとてもゆっくりで、沈黙の方がずっと多い。なので沈黙を心地悪く思わない人でないとなかなか一緒にいることは難しい。
 
一方でパートナーはもともとの気質なのか、オランダ人的気質なのか、基本的には頭に浮かんだことをそのままストレートに言葉にする。自分と関わりのないことや人についてもああだこうだと言う彼の言葉を聞いて、「それは愚痴なのか、意見なのか、それであなたはどうしたいのか」と半ば詰問に近い質問をしたくなることもあるが、彼にとってはただ「浮かんでくることを言葉にしているだけ」なのだ。私に対する気遣いから、食事の際や何かを選ぶ際にあれやこれやと言ってくれるのだが、そしてそれは「ただ浮かんできていることを言葉にしているだけ」なのだが、数年間、現実世界の中で自分の内なる感覚を頼りに日々のことをなしてきた私としてはそれが時に煩わしく、「私のことはいいから、自分のことを自分で決めてくれ」と思ってしまう。一般に「仕事」と呼ばれる時間の他者との対話やともに過ごす時間については自分と他者との境界がゆらゆらと、曖昧になる感覚があるが、実生活でいかに「ひとり」の世界を過ごしてきたかということを痛感する。彼と共に時間を過ごすようになってから書いているリフレクションジャーナルには必ずそのことが登場するのではないかと思うくらいだ。
 
分断と心の狭さを感じ反省も多い毎日の中でも楽しい時間をたくさん過ごすことができているのは彼が私の見ている世界を許容してくれているからだろう。
 
一昨日はUrlaの手前にある山でハイキングをした。(ハイキングと言っても運動不足の私にとってはなかなか長く大変な道のりだった)
 
途中ですれ違った年配の男性が静かに微笑んだ様子を見て彼が「He knows what the life is.」と言った。(実際にはもう少し違ったかもしれないが、ニュアンスとしてはそんな感じだ)
 
今日という日の中で出会ったものをただ味わい、喜びと祝福を向ける。そんな風に生きられるようになるにはまだまだ長い時間がかかるだろうか。成長や学習意欲が高まることと、「今ここ」をありのままで生きること。その間で数年ごとに揺れている自分にも気づいた。今の私の中ではそれらが相反関係になってしまうのだが、それもいずれ溶け合っていくのだろう。
 
日々の小さな気づきがこぼれていく感覚もある。「気づきがなかった」というのは、実際には「気づきを言葉にする機会がなかった」というだけなのだ。言葉になる手前のところでもキャッチしているものがたくさんあるし、言葉にして初めて気づくこともたくさんある。言葉にすることと生きている実感を持つことは密接に関わっているのだと改めて実感している。2021.4.10 Sat 8:27  Izmir
 

2021.03.11 960. すれ違う心と心をつなぐ言葉

 
木の枝が揺れ、風の音が聞こえる。確か数日前に「嵐が来る」と聞いたけれど、今日がその日だっただろうか。昨晩、3月末の気温を調べるために月間天気予報を見たところ、4月末までほとんど気温が変わらないことが分かった。最高気温は12度くらい、最低気温は5度くらい。すでに「春が来た」という気分でいるものだから、今の気温があと2ヶ月続くのはなかなか辛い。
 
4月には、少なくともここよりもあたたかい場所に滞在したい。そして来年からは冬の時期はあたたかい場所にいたい。そんな考えが湧いてきて、すこし不思議な感覚を感じる。
 
欧州に来てもうすぐ4年。最初の年こそ、どんどん短くなる日照時間や降り積もった雪に気が滅入りそうになったものの、翌年からは「これまではあたたかく熱気もあるアジアの国が好きだと思っていたけれど静かで冬の長い場所もいいなあ」なんて思っていた。
 
感覚が変わるのは、自分の中に大きな季節が巡っているからだろうか。それともこれは単に、季節の変わり目にお決まりのようにやってくる感覚だろうか。
 
言葉も身を置いてきた文化も違う相手と暮らしていると毎日のように何かが巻き起こる。その半分はミスコミュニケーションだ。
 
そもそも正直なところ普段相手が話していることの半分も私は理解することができていないだろう。なんとなしに話すことであればそれでいいが、大事なことがすれ違うとお互いの間に不和が生まれる。そんな中、昨日は英語の単語の意味を、相手の意図と違うように受け取り、私が怪訝な顔をするということが起きた。私は文脈の中でその意味が分からなかっただけなのだが、彼には私が傷ついたように見えたようだ。すぐさま隣の席に腰掛け、言葉の限りを尽くして誤解を解こうとする。言葉の意味を説明するのではない、自分がいかに私のことを大事に思っているかまで滔々と説いてくる。
 
それはまだともにする時間が少なくて気持ちが盛り上がっているから行うことではないだろう。言葉は心の現れであり、どんな心からその言葉を発しているかということが関係性に影響を与えることを知っているのだ。生きている時間やその中で経験してきたことが違っても、一人の人間としてその人のことを尊重し、その気持ちと一致した言葉や態度で相手を扱っているか。
 
彼からは本当にたくさんのことを学んでいる。言葉が通じる同士だと、私たちはあたかも、「同じ言葉で同じ意味を共有している」と思い込んでしまう。でも本当は、言葉の意味はそれぞれの人の中にあって、人と人との間で常にアップデートされている。コミュニケーションそのものや言葉についての意識を更新することを後押しする。これは5月から7月に開催する講座のテーマとして考えていることだが、このテーマは本当に奥深くて、私自身、もっともっと深めていきたい。そのためにも、仕事やスケジュールについてはバランスを再検討する必要があるだろう。
 
深めるほどに、大切なものを世界に届けることができる。思いの外、外に開いていた数ヶ月間を過ごしてきたが、ここからまた探究に比重を置いた時間に入っていくかもしれない。いや、そんなことを考えることさえ、もう手放すときなのだろうか。ここ最近のテーマである「明け渡す」は、まだ身体感覚に落ちるところまでは至っていない。2021.3.11 Thu 8:23 Den Haag
 
 

2021.03.09 959. 境界線に関する認識

 
昨日の夜に降り出した雨は夜中の間にも微かに降り続いていたのだろう。湿り気を帯びた中庭の木々がいつもよりもさらに静かに佇んでいる。枝葉が風にそよいでいないのだということが、同時に降りてくる。外に見る景色は常に心象風景なのだということを思う。昨日過ごした時間から、自分自身の「時間」に関する認識について考えている。私の中で強くあるのは「時間は有限である」という感覚、そして「時間は命そのものものである」という感覚、それは「命は有限である」という感覚でもある。
 
有限であるからこそ、「他者と時間をともにする」ということに対して「尊いことである」という強い感覚を持っている。そしてその感覚と同時に「他者にも、自分とともにする時間を大切なものとして扱ってほしい」という欲求が生まれている。そうすると、時間を大切に扱われていない感覚が、そのまま直接自分を大切に扱われていない感覚になる。ここに苦しみが生まれる。目的や想いは人の力になるけれど、同時に限界を生むという話がちょうど最近読んでいる書籍の中に出てきたように思う。
 
自分が「仕事」という括りの中で過ごしている時間についてはそもそも「ともにする相手のための時間である」という認識が大きい。「相手が時間をどう扱うかは究極的には相手が自分の人生をどう扱うかであって、私の命に対する価値づけではない」というように、かなり強い切り離しのようなものが起こっている。
 
しかしこと、仕事を離れると、その反動かそこに流れる時間は「自分の時間である」という認識が強くなる。そしてその時間がどう扱われるかが自分の命や存在に対する尊重と非常に近しい関係になる。「自己」と「他者」の間には明確に境界線が引かれ、本来であれば両者の「あわい(あいだ)」の領域にあるはずの時間が「自分のもの」だと認識され、その境界線を立ち入られることに強い嫌悪感を感じる。そんなことが起こる。
 
これはひとりでのんびりと暮らしていたときには感じることのなかった感覚だ。私にとってオンラインはパブリックであり、その中に身を置くときには他者との境界線はゆるやかで曖昧で動的なものとなる。一方、リアルは(この呼び方ももはや実情を示しているものではないのだが)パーソナルであり、その中に身を置くときには、他者との境界線が強く引かれる。
 
今日はもう、繰り返しそのことしか書いてきていないかもしれない。この先自分に変化の可能性があるとすると「命」や「生きる」ということに関する感覚(有限性)の変化ではないかと想像している。命や生きるということが、そもそも幻想である、もしくは大きな流れの中で無限性のようなものを持っているという感覚になったとき、時間に対する感覚および他者とともにする時間に関する感覚もまた変化していくだろうか。もしくは有限・無限という二項対立を超えた感覚が生まれるのだろうか。あるいは変化というものさえ手放していくのだろうか。
 
これから数年、数十年のあいだに何が起こっていくのか。そんなことに微かに思いを馳せながら、今日という一日を生きる。2021.03.09 Tue 8:43 Den Haag
 
 

2021.03.07 958. 関係性から学ぶ

 
中庭の梨の木の枝先に小さな「つぶつぶ」がくっついている。あれを「つぼみ」と呼ぶのだろうけれど、でも今は、私の知っている「つぼみ」よりももっと手前の状態のように感じる。おそらく私はある特定のエネルギーの状態まで達したものについて「つぼみ」と呼んできたのだろう。
 
今見える「つぶつぶ」は、見かけというよりエネルギーの状態と方向が、まだ「つぼみ」とは違うのだ。
 
かもめたちが声を上げ、中庭の空気を揺らす。
 
昨日、一昨日とナラティブをテーマとした勉強会を開催しているが、改めてこのテーマが自分にとってとても大切にしたいテーマなのだということを感じる。
 
ナラティブは一つのものごとの見方であり、人間の捉え方であるが、対話という営みの中で何が行われているかについて小さい頃からの「基礎科目」の一つとして学び実践していたら、他者との関わり、そして人生の質は大きく変わるのではないかとさえ思う。
 
同時に今感じるのが、対話が切り売りされているという現状だ。対話は生きる時間であって、私たちの人生そのものだ。自分の人生や今の暮らしの中で大切なものが時間を切り売りするために犠牲になってはいないだろうか。「世界」や「他者」を見て気になることというのは結局は自分の心の反映なのだろう。
 
あたらしい暮らしと、仕事、暮らしとは別の場所にいる人たちとの関わりにどう取り組んでいくのはこの数ヶ月のテーマであり、まだ確信を持った着地には至っていない。
 
「社会」や「他者」に何らかの良い影響を与えたいというのは、これまで生きてきた社会や慣習の中で埋め込まれた「善」なのか、自分自身の魂のようなものが希求する「美」なのか。そんなことを考えずに毎日を過ごし、今日という日をともにした人との関わりで「幸せ」だと思えたらどんなに毎日が穏やかだろうと思う。
 
今すでに、時間をともにする人たちとの関わりは私にとってとても大切で幸せなものであって、基本的に毎日は穏やかさに包まれているけれど、「一番身近な他者」との間で何ができるだろうかとも考え続けている。「明け渡す」というのは今の状態に対する答えなのだと何度も言い聞かせてはいるけれど、一体何を明け渡せばいいのだろう。
 
もしかすると、心が穏やかでいることさえ、明け渡す必要があるのだろうか。
 
静けさや穏やかさは確かに今の自分自身にとって大切な価値観であり、手にしているものになっている。一番大切とも言えるそれらを手放したときに何が起こるかと思うと、恐れさえ湧いてくる。ここに大きな執着があるということだろうか。明け渡して、いろいろなものが流れてもなお残るもの。それが次の「大切なもの」になるのだろうか。そしてそれがまた執着の対象になるのだろうか。
 
関係性から学ぶということを今痛いほどに実感している。2021.3.7 Sun 8:13 Den Haag
 
 

2021.03.03 957. 生きるということ

 
向かいの家の茶トラ白猫が中庭の真ん中のガーデンハウスの屋根の上で空を見上げている。私も空を見上げ、今日も生きることを味わうのだという喜びに包まれている。
 
霧のかかった中庭。上の階から聞こえるシャワーの音。表の通りを通るトラムの音。
 
静けさの中に始まりの音が混じる心地よさを感じながら「これが今の私の心の音なのか」と思う。
 
昨日はセッションを終えた後、16時すぎに散歩に出かけた。日没時刻は気づけば遅くなっていて、数週間前だったらもう暗くなりかけていた夕方の時間でもまだ、沈み始める前の太陽が見えた。
 
いつもとは違う、大使館のあるエリアに近づく方面に歩き、公園のベンチに座り、公園にいる人たちを眺めながら話をする。一定の感覚を保って、7組ほどの、男女、もしくは男性と男性、女性と女性の組み合わせがベンチや花壇の縁に腰掛けている。もっと大きい公園もあるからまた歩こうと、さらに歩く道すがら、悲しい光景に出会った。犬が事故に会うのを目撃してしまったのだ。一瞬の出来事が、スローモーションのように思えた。
 
詳しくをあえて言葉にはしないが、「悲しい想いをしたくないから、もう犬は飼いたくない」(以前は飼いたいと言っていた)とつぶやくと、「犬を飼わなければ、あなたの人生の中に犬は現れないし、犬が事故に会うこともない」と彼が言った。その言葉に含まれている様々なメッセージを感じた。
 
その夜、食事をしながら「家を出なければ悲しいことには出会わずに済むかもしれないけれど、自分の心が何かを感じることも少なくなってしまうのかもしれない」ということが浮かんだ。去年一年、外出の機会は少なく、何より人と会うことがほぼなかった。それでも暮らしを続けることができたし、心の中はいたって平和だった。
 
外に出て、人と出会い、関係性を深めると、いろいろなことが巻き起こった。
 
この2月に起こったことだけでも、去年1年間で起こったことを超えるだろう。その中にはつらいこと、悲しいこと、とまどうこともたくさんあったけれど、嬉しいこともたくさんあって、それは私が外に出なければ感じることはなかったのだろうと思う。
 
私の中の「内」と「外」の概念が変わればそれもまた変わるかもしれないけれど、少なくとも今の私の世界の認識においては、「外」はいろいろなことが起こる場所だ。感じることがどんな質感のことであっても、「生きている」ということなのだと今は思う。
 
オランダを出たら、またいろいろなことが起こるだろう。それも全部、「生」として受け止めることができるだろうか。
 
これからやってくる未知の日々の気配を感じながら、今日も、今日という日を味わっていく。2021.03.03 Wed 7:52 Den Haag
 
 

2021.03.02 956. 関わりと交わり

 
メールを確認する前に日記を書こうと思っていたけれど、気づけばあっという間にいくつかのやりとりへの返信を考え始めていた。
 
改めて、デスクトップ上に開いているブラウザやフォルダを全て閉じ、まっしろな画面に向かう。視覚的なスペースの広がりが、内的なスペースが広がることを後押ししてくれる。
 
日記を書き始めるときのこの「まっさら」な状態が好きだ。
 
昨日も生きることを存分に味わった一日だった。
 
久しぶりに、朝、書斎の机に座り中庭を眺めながら日記を書き、「今ここ」に生まれる感覚や言葉たちを味わい、勉強や考え事をする。
 
日中に飲む飲み物は、家にあったスチーマーを活用することで、ゴールデンミルクがクリーミーになり、一日一回、彼が作ってくれる抹茶ラテにはそのときどき、アーティスティックな模様が描かれている。
 
夕方にビーチの近くの魚屋さんに魚を買いに行ってお寿司を作ろうかと言っていたけれど、ベッドで過ごしていたら日が傾いてきたので、近くのイタリアンでピザとティラミスをテイクアウトし、いつものように彼がささっと作ってくれるサラダとともに味わった。
 
ティラミスと一緒にウイスキーを舐め、流していた音楽に合わせてダンスを踊り、読書をして寝る。「今日が月曜日だと信じられない」と思うと同時に、自分の中にはまだ曜日の感覚と、曜日に合わせて働くという感覚が染み付いているのだということに気づく。
 
ここのところ、一日数件の予定が入っていることも多かったが、自分の中で「深める」時間と、パートナーと過ごす時間がともに充実し、さらにセッションの質を高めることを考えると、一日2件のセッションもしくは打ち合わせが今の生活にはちょうどいいということを改めて実感した。
 
4月末にはこれまで参加してきたコーチングのプラットフォームを卒業することを決めたため、そこを通じてご一緒していたクライアントとのセッションがなくなり時間ができるが、心が澄んだ状態で、心からの喜びと祝福とともにある時間を続けていくためには、大きくクライアントの数を増やすことは控えておくことが望ましいだろう。限られた時間の中でもその人の人生と向き合うとなると、私自身の中に大きなスペースが必要になる。
 
以前、友人の主催したインテグラル理論に関する勉強会の中でチラリと紹介されていたタオ性科学の本の男性版と女性版をパートナーとともに英語で読み進めているが、そのためか、同時に彼が精神的身体的に多くの囚われから解放されているということもあるだろうけれど、セックスは肉体的な楽しみを超えた取り組みとなり、心や魂の関わりを深めてくれているということも実感している。相手と自分の身体の中にエネルギーを循環させることができるようになったが、これはとてもパワフルだ。(パワフルだからこそ、加減には注意が必要だということも感じている)
 
このあたりはまた探究と実践を深めていきたいが、ことパートナーシップ、かつセックスがテーマになると公に語られることが憚れると感じるのは、実際の社会的な慣習もあるし、私自身の囚われがまだまだあるのだろう。
 
パートナーシップにも生き方にも様々な形があるが、自分の人生においてはやはり欠かせないものであり、探究と実践からの学びをまた何かの形にしていければと思っている。
 
自分自身と向き合う時間があり、そして様々な形のパートナーと1対1で何かを交わしたり取り組んだりする時間があり、そして仲間たちとの時間がある。
 
ここ数ヶ月で「自分」を取り巻く関係性はダイナミックに変化をし、その中で「自分」どのように他者との間に境界線を設けてきたかということに気づき、その境界線が今、揺らぎ始めている。明け渡すこと、収束させようとしないこと。それが今のテーマだ。
 
そんなことを考えながら、意識も散漫に広がり続けている。今週から来週にかけてのいくつかの取り組みに向かっているのだろう。2021.03.02 Den Haag
 
 

2021.03.01 954. エピローグとプロローグ

 
向かいの家の茶トラ白猫がガーデンハウスの向こう側から顔を出している。向かいの家にやってきて数ヶ月、あっという間に太ってきたと思っていたが、その顔にはまだ子猫の面影が残っている。
 
1階のヤンさん宅の庭には三毛に近い毛色の、赤い首輪をした猫がいる。先日初めて中庭で見かけた猫だ。
 
茶トラ白猫と三毛猫はどうやら目が合ったようで、見つめ合いながらピターっと止まっている。
 
この中庭の景色を見るのもあとちょうど1ヶ月かと思うと感慨深い。
 
ゆっくりと季節の移り変わり猫たちが遊ぶこの場所の景色を、私はずっと眺めることができただろう。それも一つの幸せな人生の形だったと思うけれど、結局のところ私は「もっと外側」を見てみたくなる性分なのだ。
 
昨晩、夕食を終えて、リビングの脇に並べた一人がけのソファに腰掛け、かけていた音楽を、日本語の歌に変えた。耳から入る言葉が「意味」や「世界」として頭や身体の中で瞬時に立体的に膨らむ特性があり、それは自分の中のスペースを占領してしまう感覚があるため普段日本語の歌を流すことは少ないが、昨日は少し前にヒットしたアニメ映画の挿入歌が目に留まり、再生ボタンを押した。
 
3mを超えるところにある天井に掘られたレリーフを眺めながら、言葉から生まれてくる感情や感覚をそのままに浮遊させていたら、涙が溢れてきた。目をつぶっても、自分の中の海がやってきている感覚が分かる。
 
この家にやってきて2年半、いろんなことがあった。
 
大好きな人と一緒に過ごす少しの時間は、とても幸せで、悲しい時間だった。指折り数えることはもうしないけれど、随分と長い間一緒にいて、随分と長い間一緒にいることができなかった。ずっと夢見ていた幸せな物語を一緒につくることはできなかったけれど、私の中の「愛」の質感を変えたのは、間違えなく彼との時間だ。
 
でもきっと、オランダに住むと決めたとき、この部屋に住むと決めたときに、「終わり」は始まっていたのだろう。終わりを始めたかったのかもしれない。
 
今、この部屋でひとりで過ごしてきた2年半の時間が、そして、新しいパートナーと「知り合う」時間が、終わろうといている。これまでの物語の「終わり」の 終わり(これはもう、エピローグに近いだろう)と、そして新しい物語の「始まり」の終わり(こちらはプロローグということになる)。
 
この先の世界はもう、描いてきた夢を超えていて、どんなものになるか想像もつかない。
 
この2ヶ月間、パートナーシップの「始まり」の時間を過ごしてきて知ったのは、パートナーシップにも成熟度合いがあるということ。現在のパートナーは一回り歳が離れていて、忙しく働くということから経済的にも精神的にも解放されている。「悠悠自適」という言葉が適切かは分からないけれど、とにかく毎日を好きに過ごすことができる。私も彼ほどではないが、自分一人であれば心の望むことに取り組み、たくさんの喜びを感じて日々を過ごすことができる。私たちの間には、一緒にいることの必要性も義務もない。誰かに稼いでもらう必要もないし、誰かにごはんを作ってもらう必要もない。彼は「We are team」とよく言うけれど、何か機能を補完し合っていく必要性があるチームではないのだ。もちろん補完し合っているところはたくさんあるけれど究極的にそれが必要かというと、お互いにそうではないだろう。(少なくとも、料理をはじめたとした暮らしのことも何でもごきげんにできる彼にとってはそうではないはずだ)
 
一人で、機能としての暮らしや人生は成り立たせることができる中で一緒にいるということはどういうことなのだろう。
 
日々彼との間に生まれているのは間主観的な体験だ。お互いの人生やエネルギー、身体がつながりあってその中をぐるぐると流れていくものがある。それは自然や宇宙との間に起こっているものとも共通しているけれど、生きた生身の人間との間に起こることはもっと生々しくて不恰好だ。
 
ここからきっとまたパートナーシップの形とそこで生まれるものも変わってくるかもしれないけれど、これから始まる新しいステージはさらにお互いの「命」のようなものを鮮明に感じることになるだろう。
 
エピローグとプロローグが重なり合う。そんな3月を過ごしていくことになりそうだ。2021.3.1 Mon 8:58 Den Haag
 
 

2021.02.28 953. 旅立つことを決めたなら

 
静かな日曜の朝。霧がかかっているのか、窓の外の景色は絵画のようにぼんやりとした光を含んでいる。
 
昨日、オーナーのヤンさんに3月いっぱいで部屋の解約をしたいという希望を申し出た。
 
長い旅に出ること、この部屋が大好きだったこと、部屋や私のことをいつも気にかけてくれていたことへの感謝を伝えると、ヤンさんは「残念だけど…」と返事をくれた。
 
1月にインターネットの不調を改善するためにヤンさんが部屋にやってきたときに彼がいて、「今はパートナーシップを始めるために試しに一緒に住んでいるところだ」と話したと聞いた。そのときに、彼がこれまで旅をしながら暮らしていたことを話すとヤンさんが顔をほころばせていた。
 
だからきっと、私が、彼とともにここを出て旅に出るのもそう遠くない未来だと分かっていただろう。
 
モーリシャスが最初の滞在先候補に上がったのは数日前のことだった。日本かバリ、そして他の場所にも数ヶ月ずつ滞在してそれから拠点にする場所を決めたいねと話してきたが、日本が外国人の受け入れを再開するのがいつになるか分からないこと、バリは入国できるようになったとしても30日間(最大60日間)しか滞在できないことから、他の候補地を探していた。「できれば日本との時差が5時間くらいだと、仕事もそれ以外のこともバランスよくできそう」と世界地図を眺めていたときに目に留まったのが、モーリシャスだった。モーリシャスの西側には(地図上では近いが実際にどのくらい近いか分からない)マダガスカルがあり、マダガスカルの北側にはセイシェル諸島がある。マダガスカルにも惹かれるが、何せ大きい。
 
セイシェルはフランス人のバカンスになっているということで、それよりも物価が低く、かつ自然が美しいだろうということでモーリシャスが一気に候補となった。
 
モーリシャスに行くことを検討していることを打ち合わせで話した際に「最近よくインド人がバカンスでモーリシャスに行ったという話を聞く」という話を聞いた。そして昨日、「そう言えばモーリシャスは今、入国規制をしているのだろうか」と思って調べてみると、現在モーリシャスは南アフリカ・日本・ブラジル・英国に過去15日間の中で滞在したことがある人は入国できないという条件になっていることが分かった。PCR検査や隔離期間は必要だが、それを受け入れるのであれば入国できるということになる。
 
「モーリシャスに行けるよ!」と彼に告げると、「出発のときだ」と返事が返ってきた。
 
4月の上旬はまだ入っている予定が少ないため、今なら自由にスケジュールを組むことができる。もともと4月は調整期間にするつもりだったため、1月から3月に開催してきた勉強会は一旦お休みになり、生活環境が変わるタイミングとしてもちょうどいい。問題は家の契約だ。契約上、2月中に解約の申し出をした場合、3月分まで家賃を払う必要があり、3月に入っての申し出の場合、4月の上旬に退去するとしても4月分の家賃の支払いが必要になる。これまでは「気持ちの余裕が大事。タイミングを決めることは難しいから1ヶ月分余計に払うことは構わない」と考えてきた。しかし、もし4月の上旬に出発するとなると、そのあたりも改めて考える必要があるだろう。と言っても、2月は28日までなので、3月いっぱいで解約をする場合はあと2日のうちにヤンさんに伝えなければならない。
 
夕方、散歩にでかけると、いくつかのサッカーコートのある大きな公園の脇で、ダンスを踊っているカップルがいた。「サルサだ」と彼が声をあげ、「One, two, three、five six, seven」 とリズムを口ずさむ。公園の周りをぐるりと回ってもなおカップルは踊り続けていて、彼らが見えるところで立ち止まり、フェンス越しにサッカーをしている人たちを眺めた。
 
「どうやって旅の計画を始める?」と声をかけ、旅についての話を始めた。モーリシャスは滞在できる可能性が高いこと、モーリシャスに行けなくても、スペインやイタリアなど、南ヨーロッパでいい場所があること。彼がコロナを発症し回復し、私もおそらく抗体ができているので、再び検査を受けて陰性になっていれば、(新型のものが広がらない限り)発症する可能性が低いことなどを話した。それから少し歩いて、たくさんの子どもたちが遊んでいる公園の脇のベンチに腰掛け、また話した。
 
そうして、その日のうちにヤンさんに3月末で解約をすることを申し出ることを決めた。家までの帰り道、「ハーグの街で暮らすのはあと1ヶ月なのだ」と思うとなんだかとても感慨深くなった。
 
欧州に渡ってもうすぐ丸4年が過ぎようとしている。いろいろなことがあったけれど、昨年は、コロナで日本から友人たちが遊びに来ることができなかったことを除けば、静かで、穏やかで、特に最後の半年は仕事の流れも変わり、充実した時間だった。
 
そして彼との出会いがあり、今は、毎日ヘルシーでかつ美しい食事を楽しく摂ることができている。(充実した時間の中で、唯一食事の時間だけが事務的でどこか味気ない時間だった)大好きな街、大好きな暮らし。そう思うときが旅立ちのタイミングなのだ。そして旅立つことを決めたとき、街や暮らしはさらに美しく見える。
 
この「美しいものを手放す」感覚は、これまで何度も味わってきた。
 
今分かるのは、自由に生きるためには、経済的な自由よりも心の自由が必要だということ。それは彼と暮らしていて学んでいることでもある。無理に働く必要がない彼も、心の自由を手に入れていなければ今のように毎日をごきげんに過ごすことはできないだろう。経済的な自由は心の自由の後押しにはなるけれど、経済的な自由を手に入れたからと言って必ずしも心が自由になるとは限らない。
 
さらに、成長欲求や社会貢献欲求のようなものもときに私たちの心を不自由にするのだというのが最近感じているところだ。これは「善」の感覚にも近いだろう。成長欲求や社会貢献欲求のようなものが自分自身の中に本来ある「美」の感覚と結びついているのであれば話はまた別だが、多くの場合、「善」はこれまで生きてきた社会や人生の中で刷り込まれてきた通念のようなものがベースになっている。しかしそうだということにはなかなか気づくことができない。私自身は今まさに、内在化した他者および社会に対して自分がどうあるかということにとても影響を受けている。これだけ物理的身体的に人との関わりから距離を置いても、まだそうなのだ。おそらくここから起こるのは、自分自身が内在化した他者および社会の呪縛から離れていくことと、同時に、そんな状態の他者を見たときに自分の中に反応が生まれるということだろう。それは嫌悪感のようなものかもしれないし、悲しみのようなものかもしれない。
 
とにかく、自分の中でまだ葛藤しているものを他者の中に見ることになるだろう。その経験がまた、自分自身の在り方を深めていくことになるはずだ。「在り方を深める」というのは漠然としているが、そこには自分なりの「美」が存在しているのだと思う。
 
気づけば日の出の時間は随分と早くなっている。これから1ヶ月でまた、どんどんと心地いい季節になっていくだろう。1ヶ月の間にどれだけこの暮らしを味わうことができるだろうか。
 
あたたかくなったらフローニンゲンに住む友人を訪ねたいと思っていたが、それはまた、数ヶ月先、次にオランダに戻ってきたときになるかもしれない。
 
できれば日々の中で少しでも日記を書き続けたいが、きっとそう思いながらあっという間に1ヶ月が過ぎていくだろう。
 
旅立つことを決めた2月の終わり、眼に映る世界が一層輝きを増した。2021.2.28 Sun 8:59 Den Haag
 
 

2021.02.16 952. パートナーシップと関係性の構造

 
ウェブサイトにアップしていなかった数日分の日記を読み返して驚いた。2月1日、私は自分の「死」について書いていた。それが朝のことだった。
 
パートナーのお父さんが亡くなったという連絡が来たのは何時頃のことだっただろうか。
 
「お父さんが亡くなったって」そう呟いた彼に、どんな言葉をかけていいか分からなかった。スピリチュアルな力を持っているという彼の友人が、ちょうどお父さんがなくなった時刻にそのことを知らせるメッセージを送ってきていた。
 
それから一週間後に葬儀があり、私は彼の「パートナー」として葬儀に参列をした。そのときに過ごした時間は、物語のようで、書き留めておかないといけない気がしていた。もしかすると、そのときは「自分を見ている自分」がいたのかもしれない。もしくは身体から魂が抜け出ていたのだろうか。
 
とにかく、その日、オランダに来て初めて運河が凍っているのを車の助手席の窓から眺めながら「現実」ではない感じがしていた。
 
一回り年上の彼は、いつも随分若く見えるけれど、葬儀の時は特にまだ青年のように見えた。それがお父さんとの関係性の中で完了していない部分だったのかもしれない。文化も慣習も言語も違う場所で、哀しみだけではない複雑な感情の中にいる人をどうやって支えたらいいのだろうかと自分自身の未熟さを悔いた。
 
今もその感覚は同じだ。自分の好きに生きてきた私は、自分の好きにはできるけれど、誰かにために現実世界で何かをすることが本当に、全くと言っていいほどできないのだ。
 
「他者との関係性は、自分との関係性を起点とし、身近な人との関係性、さらに大きな関係性、と、フラクタルな構造になっている」と思ってきたけれど、一体私の関係性の構造はどうなっているのだろうか。
 
今、仕事およびいくつかのプロジェクトで大人数ではなくまずは二人という関係性から始まろうとしているものがいくつかあるが、これは私の中でそういうタイミングだということなのだろうか。
 
それにしても、今ここで体験しているパートナーシップというのは想像もしなかったものであると同時に、私が強く望んでいたものにも近いのだと実感している。パートナーは良く「We are team.」と言う。私が苦手な料理をほぼやってくれているときも、買い物に行くときも。驚いたのは生理痛がひどいときに痛みを和らげるためのマッサージをしてくれ、それについて「だって生理についても僕たちはチームでしょ」と言われたときだ。この人には「自分」という円も、「私たち」という円も、どちらも、戦わずに存在しているのだと思った。
 
「いくつかの国で暮らして、定住したい場所を見つけて…それから、子どもができたら僕がごはんを作って子どもの世話をするというのもいいよ。あなたは好きな仕事を続けたらいい」とサラリと言う。どうやら彼の中の「Team」には、「どちらが何をしないといけない」という枠組みはないらしい。それは私が日本にいたときに感じていた「夫婦」と言う言葉に対する違和感にもつながるものなのだと今になって分かる。日本における「夫婦」には、いつも「夫」と「妻」の役割がセットになっている(気がする)のだ。これが彼がオランダ人だからか、それともモンテッソーリ教育を受けているからか、はたまた別の理由からかは分からないけれど、やはり自分よりも一回り年上の人がそんな考えを持っていることは驚き以外の何物でもない。
 
ついでに言うと、関係が深まり始めるときに子どもが欲しいかという話になり、そのときに「あなたは私たちのBabyが欲しいか、それともKidsが欲しいか」と聞かれたのも衝撃に近い驚きだった。オランダは国際養子縁組を含む養子縁組が珍しくないと聞いてはいたけれど、ここまでフラットにそんなことが話されるとは…。
 
それでもきっとこれを「オランダ人」と括ることはできないだろう。国民性のような大きな傾向はあっても、その中でどんな考えを持ってどう生きるか、今は本当にきっと多様になっているのだと思う。
 
そんな中で私にとっては理想とも言えるパートナーシップのイメージを持っている人に出会えたことは奇跡にも近いし、一方で、「何か」がないときっと関係は深まっていなかっただろうから、ある意味必然とも言えるだろう。
 
それでも、始めることよりも続けることの方がずっと難しくて、「理想」ではない「現実」に向き合い続けることができるかが重要になってくるだろう。日本語が通じればどんなに楽だろうと思うことは多々あるけれど、ここにきっと、お互いの人生にとって大切な学びと経験があるのだ。
 
悲しいときは悲しい顔をし、嬉しいときには嬉しい顔をする。当たり前のようで生きているうちにできなくなってしまうことを屈託無くする彼が幸せであり続けてほしいと思うし、その笑顔を少しでも増やすことができたらいいなと、今は思っている。2021.02.16 22:05 Den Haag
 
 

2021.02.16 951. 現実の中で気づく、因果関係と境界線に関する意識について

 
20時30分すぎ、久しぶりに書斎で机に向かって日記を書き始めている。「パートナーが体調を崩して寝込んでいるから日記を書くことができる」という、なんとも皮肉な言葉が頭に浮かび、そして同時に、今の自分自身が持っている視点の限界に気づく。「できないこと」が自分自身の外的な環境もしくは人に起因していると考えているのだ。ここに、他者と自己の間に未だ大きな分断があり、その中で、ある一方向の因果関係が発生しているという意識の持ちようがあることが分かる。
 
これが恒常的な自分の意識かというとそうでもないと思いたいものだが、深層では世界との関係をそんな風に捉え続けて来ていたのだろうか。
 
オランダ人のパートナーと暮らし始めて1ヶ月半。自分たちの暮らす「世界観」の違いに未だ驚くばかりで、どうしてそれを日々書き留めてこなかったのだろうという後悔も浮かんでくる。自分自身と向き合うための日記だが、どこかで「あまりに歯の浮くようなことばかり書いて、浮き足立っていると思われないだろうか」などと思った自分が少なからずいたことは事実だ。
 
「学びと実践の最も重要な題材は現前にある」と思ってきたが、どうやらそれは本当にそうで、肉体を持って接する「現実世界」というのはこうも生々しくてもどかしいものなのだということを実感している。
 
欧州に渡って3年半、全ての活動をオンラインで行なってきた結果、オンライン上の「空間」は飛び越えることができて、時間軸を超えることもできるのだと分かった。そこには一瞬であり無限の空間が広がっているのだ。
 
一方で、生身の身体が身を置く世界との間ではその感覚についてまだ一致してはいない。一人のときは良かった。他者と過ごす以外の「時間」は「自分の時間」であり、それを深く、広く、拡張することもできる。(実際には、自分にとって優先順位の低いものを「やらない」というだけなのだけれど)
 
それが今はそうはいかない。「フランス人は食べるために生きていて、オランダ人は生きるために食べている」という言葉を聞いたことがあるけれど、幸か不幸か、私の出会ったオランダ人は身体に良いだけでなく、見た目も美しく盛り付けた料理を食べることを楽しむのが好きな人だった。肉はほとんど食べることがなく、ベジタリアン的な食事をしてきているということだが、私の想像する「ベジタリアン」よりも、いつも随分と食卓の彩りが豊かだ。(これもまた私の想像の乏しさもあるのだけれど)
 
と、こんな風に書き出すとキリがなくて、ただただ「違って驚き!」という話になってしまいそうになる。ここから何をどう深めていけばいいのだろうか。自分がどうやって日記を書いてきたかさえ記憶の彼方にある感覚になるくらい、「現実」に生きる世界の感覚がとにかく日々すさまじい。
 
そんな中、ここのところずっと感じている課題感のようなものを書き留めておくと、それは言語の壁だ。もう少し正確に言うと、言語レベルに合わせて、思考とコミュニケーションのレベルが下がる(「レベル」と言う言葉は完全にしっくりきているわけではないが、でも端的にはそういうことなのだと思う)という現象に頭を悩ませている。いや、これは結局のところ他者との関係性の枠組みがあまりに限られた生活をしてきたが故に起こっていることであって、根本は言語の影響ではないということも実感している。
 
家にいる「わたし」は「私」であって、この環境において、他者との間に様々なことに折り合いをつけるということが結局のところできないのだ。これを離婚後5年だか6年に渡る独身生活のせいにはできないだろう。かつての結婚生活でも私はきっと「私」と「私たち」の折り合いをつけることができなかったのだ。
 
物理的には人と距離を置き、対話という形と時間を通して他者と関わりながら一人で探究をするというスタイルはそういう意味でとても自分に合っていたのだと思う。
 
その生活を続けていたら、もっと見えていた景色があったかもしれない。でも、私たちの人生には実際のところ「もし」なんてものはなく、今この瞬間に立ち現れる世界の道の上を歩んでいるのだろう。「選択肢」なんてきっと、私たちの想像の産物に過ぎないのだ。
 
出会った人がいて、互いに一緒にいることを決めた。そこに大いなるものの意図や流れがあったかどうかは分からない。ただ、今こうしてここに共にいるというのが起こっていることなのだ。
 
自己と他者、関わりと関係性、この二つの軸からできる4つの象限ないしはさらなる立体、もしくはn次元の世界が、これからの探究と実践のテーマになっていくだろう。
 
このあたりはまた改めて言葉にしたい。
 
久しぶりに日記を書いたが、改めてやはりこの時間は私に欠かせないものなのだということが分かる。今の暮らしの中で、日記を書き続けることができたらきっと本当に大切なものに向き合い続けることもできるだろう。
 
書斎と隣り合った寝室から、ヒーリングミュージックのような音楽が微かに聞こえてくる。微かだが、実際には割としっかりと音が出ているはずだ。小さな音でも大きく聞こえてしまう私にとって、「体調の悪いときにこんなに大きな音の中で寝るのが、果たして回復につながるのだろうか」などと思ってしまうけれど、青い目の彼にとって世界が随分と明るく見えるのと同じように、私には世界の聞こえ方が違うだけなのだ。
 
いつか、自分たちの体験している世界をもっと伝え合える日が来るのだろうか。そのためにもせめて鍋と雑炊以外の、栄養があって美味しいものが作れるようになりたいものだ。2021.02.16 Wed Den Haag
 
 

2021.02.11 950. だから大切な人の手は離さないでいよう

 
郊外の住宅地を抜けて間も無く、静かな場所に葬儀場はあった。
 
まばらに車の停まっている入り口付近を抜けて、駐車場の奥、まっさらな雪の中に車を停める。
 
深呼吸をしようと助手席の扉を開ける。
 
冷んやりとした空気が一気に車の中に入ってくる。
 
パートナーのお父さんが亡くなったのは1週間ほど前のことだった。
 
新型コロナウイルスが原因ではないけれど、医療現場や社会が混乱している今、どこからが「コロナが原因ではない」と言えるのだろうか。
 
・・・・・・・・・・
 
ちょうど1ヶ月前。
 
1月1日に会ったばかりだった。
 
私が想像し実感している「オランダ人」よりも随分と小柄な男性は、車椅子に乗ってはいるものの元気そうで、グラスに注がれたシャンパンを前ににこにこ微笑んでいた。
 
「これまで何度か体調を崩したことはあったけれど、その度、持ち直したんだ。彼は強い意志を持ってる」
 
そんな話を聞いていた。
 
体調が崩れ、病院に運ばれ、「できることはない」と自宅に返されたときも「彼はまだ生きる意志がある」という話をしていた。
 
・・・・・・・・・・
 
敷地の横を流れる運河は凍っていた。
 
オランダに来て3度目の冬、運河が凍るのを見るのは初めてだ。
 
立ち止まると、「トトトトト」と何かを叩くような音が聞こえる。
 
「またキツツキだ。僕はこれまで一度もキツツキに会ったことがなかったけど、あなたといるとキツツキが挨拶をしてくるね」
 
いつもと変わらない調子で彼が言葉を口にする。
 
聞こえてくるのは、鳥たちのつくりだす音、風の音。
 
凍った世界には、私たち以外に人がいないんじゃないか。
 
そんなことを思いながら運河沿いの小道を進む。
 
道の脇に、自転車の車輪ほどの大きさの円が区切られていて、中に「Gereserveerd」と書かれた看板が立っている。
 
「これは何?」と聞くと、「予約済みだって。自分の場所を生きているうちに予約しておく人もいるんだ」という答えが返ってくる。
 
「あ、ここは木を植えるんだね。新しいスタイルだ」
 
そう言われ、目を向けた先に、木と呼ぶにはまだ早い、腰の高さほどの細い枝が見える。
 
「最近植えられたんだね」
 
そう言いながら、木の下に置かれたプレートを覗く。
 
二人分の名前と、それぞれの名前の横に二つずつ日付が並んでいる。
 
1943年と1940年生まれの二人。
 
亡くなったのは2020年8月と2020年9月。
 
「コロナでなくなった人だ…」
 
「一人が亡くなって、その一ヶ月後にパートナーが亡くなってる…」
 
他の若い木の根元に立てられたいくつかのプレートにも、2020年の、そう遠くない日付が並んで書かれている。
 
「Terrible(ひどい)…」
 
と、彼が呟く。
 
・・・・・・・・・・
 
時間になり案内された待合室には、壁沿いに椅子が転々と並べられていた。
 
やってくる人たちが彼と、近くに座るお姉さんに声をかけにくる。
 
 
腕で触れ合う人もいれば、握手をする人もいれば、抱き合う人もいる。
 
誰かが来る度に、私も立ち上がって挨拶をする。
 
と言っても、名前と、一言何かを言うくらいしかできない。
 
人々が話すオランダ語が、静かな音楽のように宙を漂う。
 
新たにやってくる人がいなくなって、間も無くして、係の女性が会場にいる人たちに声をかけ、人々が立ち上がった。
 
彼のお姉さんが、旦那さんと手を繋いで歩き出す。
 
彼に手を引かれ、その後ろに続く。
 
10mほどの廊下を歩く僅かな時間の中で、色々なことが頭を駆け巡る。
 
オランダで、誰かのパートナーとしてお葬式に参加をする。
 
数ヶ月前には想像もしなかった現実が目の前にある。
 
非日常的なことが起こるのが夢だとしたら、これは夢の一部なんじゃないか。
 
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式典の会場は中央に置かれた棺を囲んで半円状に椅子が並ぶ小さなコンサートホールのようで、それは私の知る会場とは全く違うものだったけれど、すでに夢のような感覚の中にいる私の心は静けさを保っていた。
 
一番前の列の、一番奥の席に座る。
 
隣に座ったお姉さんの目から涙が溢れ、旦那さんがその肩を抱く。
 
涙ぐんだ彼の腕を抱き寄せて、手を握る。
 
気づけば、周りの人が皆マスクを外している。
 
急いでマスクを外す。
 
係の女性のアナウンスにより式典が始まり、間も無くして、彼が立ち上がった。
 
胸元から折りたたんだ紙を取り出し、広げ、話し始める。
 
・・・・・・・・・・
 
 
前の晩、リビングでスピーチの練習を終えた彼に声をかけた。
 
「私はオランダ語が分からないから、明日あなたのスピーチを理解することができない。だからよかったらあなたが話すことを英語で教えてくれる?」
 
そう聞くと、彼はスマートフォンに保存した原稿を開き、大きく息を吸って、練習と同じように、はっきりとした声で英語でスピーチを始めた。
 
小さい頃の思い出。
 
お父さんが過ごしたであろう時間のこと。
 
そして、晩年の楽しみのこと。
 
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言葉は分からないけれど、彼が何を話しているのかを知らせる感覚が身体の中に生まれる。
 
「音楽をかけてください」
 
おそらく、彼が口にした言葉はそんな意味だったのだろう。
 
会場に音楽が流れ始める。
 
英語の曲が始まり、歌が聴こえてきた瞬間に、スピーチの台の近くに座る彼の方を見た。
 
つい数週間前に、一緒に観た映画のワンシーンで流れた歌だった。
 
お葬式までの間にお葬式で流す曲のリストを作っていたことは知っていたけれど、その曲を彼が選んでいたことは知らなかった。
 
おそらく、彼のお父さんはこの曲を知らないだろう。
 
でも、きっと、ぴったりの曲なのだと思った。
 
サビの部分で、再び彼の方を見る。
 
お互いに、微かにうなづく。
 
スピーチを終え、席に戻ってきた彼と、再び手を繋ぐ。
 
Uncle(おじさん)だと紹介された老齢の男性のスピーチが終わり、再び音楽が流れ、スライドショーが流れた。
 
そして、係の人のアナウンスがあったためか、みんなが一斉に立ち上がり、私も続いて立ち上がる。
 
中央に置かれたアイボリー色に塗られた棺が、ゆっくりと沈み始める。
 
そのとき音楽が流れていたのかどうかは覚えていないけれど、手を合わせるでもなく、目をつぶるでもなく、そこにいる人たちがただ静かに佇む、そんな時間だったように思う。
 
・・・・・・・・・・
 
式典を終えて案内された部屋には、大きなサンドイッチと小さなケーキが用意されていた。
 
さらに、ビタバーレンという、オランダ名物の丸いコロッケのようなものも運ばれてくる。
 
「日本で言うと、唐揚げのようなのだろうか」
 
そんなことを思いながらビタバーレンをつまむ。
 
見渡して、改めてそこにいる人たちの人数を数える。
 
20人ほど。
 
その日は雪が降り積もった次の日で、「雪のために行けない」という連絡が朝から何件も来ていたけれど、来られないことは雪のためだけではないことは分かっていた。
 
何日も夜中の間ずっと看病をしていたというもう一人のお姉さんは、旦那さんがコロナに感染していることが分かり、お葬式に出席することができなかった。
 
大切な人を見送ることもできない。
 
「これが、今私が身を置く社会の、世界の、現実なのだ」
 
と思った。
 
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1時間ほど、飲み食いをしながら話をしていただろうか。
 
ぱらぱらと、半分以上の人が帰っていく。
 
「あと5分ほどです」と係の女性が告げに来た。
 
残ったサンドイッチとケーキが箱に詰め手渡され、入り口に置いてある花束とともに、その場にいた人たちが運び始める。
 
そしてそのまま、駐車場に向かう。
 
花をお姉さんの車に乗せる。
 
サンドイッチの入った箱の一つを渡される。
 
そこにいる人たちがオランダ式の、頬に3回するキスを交わし合い、女性たちと私もハグとキスを交わす。
 
老齢の女性の一人がオランダ語で何かを言う。
 
「日本では挨拶でキスをする習慣がないのか?って」と彼が言うので、私たちにはその習慣はないと答えると、
 
また女性が何か言い、
 
「じゃあ私があなたがキスをした初めの女の人ね、だって」と彼が英語で言い直し、そこにいるみんなが笑った。
 
そのまま車に乗ろうとするので、思わず彼に「骨はどこ?」と聞くと、
 
「4週間保管して、それから焼くんだ。その後に家族が取りにくることになってる。でも、お母さんのときのは受け取っていないんじゃないかな」
 
という答えが返ってくる。
 
「コロナだからじゃない。そういう決まりになってるんだ」
 
そう話す彼はさびしさともあきらめともつかない顔をしていた。
 
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駐車場を出て間も無く、「ロッテルダムのツアーをして帰ろう」と彼が言った。
 
「お父さんもきっと街を見たいだろうから」
 
と。
 
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ハーグの街に戻り、車をレンタカーショップの駐車場に停め、鍵をキーボックスに入れた。
 
近くのトラムの停留所に、タイミング良くトラムがやってくる。
 
20分ほどトラムに揺られ、家の最寄りの停留所で降りる。
 
歩行者信号が青になるのを待たずに道を渡ろうとすると、ちょうど道を曲がった車がやってきて、足を止める。
 
「One more funeral!(お葬式がもう一つ)」
 
と彼が笑い、「ほんとにやめてね」と一緒に笑う。
 
涙と笑い、哀しみと愛おしさが混じり合う。
 
名前のついていない感情をたくさん感じている。
 
それが、私たちの生きる現実。
 
2021.02.11 Den Haag
 
 

2021.02.01 949. これまでの自分が死を迎えるとき

 
あたらしい月がやってきた。
 
1月はどんな時間だっただろうと考えると「死」という言葉が浮かんできた。これまでの自分が死を迎え、新しい自分が生まれた。それは本当に、恐ろしくて不安で、先の見えない真っ暗なトンネルを歩くような、そんな時間だった。
 
そんな言葉を選ぶと何かとても苦しい時間だったように思うけれど、毎日はとても幸せだった。一日が終わるたびに、「今日も素敵な時間をたくさん過ごしたなあ」と噛みしめるような、そんな時間が重なって一ヶ月が経った。
 
これまでとは違う生活リズムになって、一旦手放したものがたくさんある。日記を書くことを含めて、これからまた、「これまで」との統合が起こっていくのだろう。
 
自分自身がより良い状態、静かでクリアな状態でいるために日々のルーティンがいくつもあったが、それは方法に過ぎなかったのだと分かる。やり方は変わったとしても、目の前のものごとや人に向き合うこと、目の前に現れることが大切なことを教えてくれる。
 
そうにも関わらず、これまでは随分と新しいことを足そうとしていたように思う。あたかも、新しいことをすれば、新しい自分が手に入るかのように。あたかも、自分の外側に大切なものがあるかのように。
 
人間や宇宙の謎を解こうとしたら、生きている時間では到底足りない。大きなものとしての「全体」を見ながら、自分自身の中にある宇宙と関わる人との間に育まれるものに目を向けて生きていくことができたら、そこには足るを知った深い幸せが訪れるのではないか。
 
1月に過ごした時間についてまた改めて振り返るかもしれないし、そうではないかもしれない。今はぼんやりと、こんなことを考えている。2021.02.01 10:16 Den Haag
 
 
 
 
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